40代で独立 生涯現役をめざす生粋の美容師 — THE GENERATION 風と雲の美容室 JUNさん —

2018.05.14

 

美容業界で活躍するあの美容師は、どんな人生を辿ってきたのか? どんな選択を経て今があるのか? リクエストQJ創刊以来、300回以上続くロングインタビュー「THE GENERATION」「THE GENERATION next」では、毎号、時の人にじっくりとお話を伺ってきました。

 

ここでは、仁義を重んじる誠実さと正義感、そして類まれなるプロ意識を持つ「風と雲の美容室 」のオーナー、JUNさんをご紹介した 第325回(リクエストQJ 2018年4月号掲載)をご紹介します。

 


 

40代で独立を決断

生涯現役をめざす生粋の美容師

 

 

同じサロンに10年いることさえ珍しい美容業界で

表参道の有名サロンに21年在籍し、

難しいとされる円満退社を3年かけて実現。

仁義を重んじる誠実さと正義感、

そして類まれなるプロ意識を持つ

「風と雲の美容室」代表・JUNの生き様を追った。

 

メジャー心が目覚めてしまったんです。

勝負するなら一番のところでやりたいと”

 

 

 神奈川県小田原市。

 山に囲まれ、海に面した自然豊かなこの土地で、中学生のJUNは朝から自宅の鏡の前に立ち、ストレートアイロンで必死に髪をのばしている。時間さえ許せばいつまでも寝ていたい年頃だ。しかし彼は早起きをして、髪を懸命にセットする。まっすぐ綺麗にのびた髪を、さらにスプレーでがっちり固めたら完成。

 いつもの日課をこなし、JUNは安心して学校へ向かう。

  おしゃれ心からではなかった。ただ、強烈なクセ毛がコンプレックスだったのだ。

 高校生になると、愛用のストレートアイロンを学校に持ち込んだ。体育のあとや昼休みに使っていたら、「私の髪もやってくれない?」とクセ毛の悩みを持つ女子から頼まれるようになる。

 人の髪を整えてあげることで喜ばれる嬉しさ。その気持ちよさは、その頃に覚えたという。

 

始まりは十六歳だった

 

  JUNの両親は、共に都内の美術大学出身。祖父も彫刻・版画家という芸術一家の血筋からか、彼も図工や美術が大好きだった。

  母親から勉強をしなさいと言われたことは、一度もない。けれど、気持ちよい挨拶や喜怒哀楽の表現、嘘に対してはとても厳しく躾けられた。信頼を失うような言動はしないこと。この教えは、JUNの誠実でまっすぐな人柄を形成していく。

  高校生になってまもなく、美容室を経営していた母の友人からアルバイトにこないかと誘われた。とりあえずやってみることにしたJUNは、平日は夕方五時から、土日は朝から行って片付けや掃除、洗濯などを手伝った。真面目に働き、このバイトを三年間続けたJUNは高校三年になり、その頃には美容室の先輩だけでなくお客さまからも「美容師に向いてるんじゃない?」「ここで働いたら」と言われるほど信頼され、認められていた。

 「美容師をめざすにしても、美術学校に進学して芸術の土台づくりをするほうがいいのでは、というのが両親の考え方でした。でも、僕は進学してまで勉強したいという気持ちはなかった。早くお金を稼ぎたいという気持ちもありましたし」

 JUNは、進学せず美容師になることを決めた。美容師免許は美容学校の通信課程で取得。そして、三年間アルバイトでお世話になった美容室に就職するのである。

 

 

ロンドン留学

 

 本格的に働き始めると、JUNは持ち前の真面目さと負けず嫌いな性格で、次々と仕事を覚えた。お客さまにほめられると嬉しくて、楽しさに変わっていく。仕事への情熱はみなぎっていた。

  働き始めて三年経った頃、転機が訪れる。

 「その美容室は、満三年勤務で二週間のロンドン研修に行かせてもらえるシステムがあって。行き先は、当時の美容師なら誰もが憧れたヴィダルサスーン。すると母が、若いうちに海外に行くならもっと長く行ってカルチャーも吸収してきなさいと。それでオーナーに、お店を辞めたくはないけど、長く海外に行っていろんなことに挑戦したい。ロンドンで学んで成長した後は御社で恩返しします、とわがままを言って、半年間行かせてもらうことになったんです」

  オーナーは承諾し、笑顔で送り出してくれた。

 最先端の美容技術を教えるヴィダルサスーンでの学びは、新鮮で刺激的だった。大胆さはないけれど、シンプルで繊細で美しいライン。JUNのヘアスタイルの見方は大きく変わった。

  さまざまな日本人美容師との出会いもあった。現在も親交が深いK-two代表の塚本繁と知り合ったのもここだ。熱意にあふれた美容師たちと時間を共有したことで、JUNに新たな志が芽生え始めていく。

 「ようするに、メジャー心が目覚めてしまったんです。日本では忙しくて日々の生活に追われて考えられないことも、違う土地にきて時間ができると、数日前の自分を鳥かごの中に入れて見るような感じで客観視できちゃうところがあって。勝負するなら一番のところでやりたいと思うようになりました」

 大口を叩いて渡英したものの、結果的には退社を決意することになったJUN。帰国後すぐにオーナーのもとに走り、ロンドンに行ってどう気持ちが変わったのか、そしてこれからは東京で勝負したいという素直な気持ちを真摯に伝えた。

 「そしたらオーナーが言ってくれたんです。『そうなると思ってた。だから半年間、君がいない間にいなくても大丈夫なようにサロンの土台を作っていたんだよ。だから安心して行きなさい』と」

 その度量の広さに感激したJUNは、さらに勝負魂に火がつく。

  彼が挑んだのは、表参道の人気サロン「PHASE」。代表・横手康浩が作る、シンプルなのに緻密で優しさがある独特なデザインに強く惹かれていたからだ。

  二十二歳のJUNは、面接で人生初の表参道に出向いた。

 「面接も初めてで何を話せばいいのかも分からないし、自分の取り柄は気合いと体力しかなかった(笑)。他の奴より元気よくしゃべったんですが、何か伝わったんでしょうね。合格したんです」

 

>「お前は万馬券だ」の言葉を頼りに

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