設立4年目からが本当の意味でのスタート。未来につなげるための教育時代の葛藤とは? −10年サロン「Cocoon」のブランディグストーリー前編

2012年〜2014年 鮮度アップ期

スタイリストが増えても売上が変わらず…。やっと集客や売込みについて考える段階へ

 

 

2年目を過ぎたころ、ACOとSAKURAがデビューして、スタイリスト3名体制になりました。二人はデビューしたばかりで売上がないのは当然なのですが、売上が上がらなくてもスタッフの数は増えていたんです。

 

一人で1ヵ月650万やっていましたが、スタイリストが増えても、スタッフが増えてもサロン全体の売上はそれほど変わっていませんでした。そこでようやく「集客について考えないと、自分だけでしか成り立たないサロンになってしまう」と気づきました。

 

そこからは二人を一生懸命売り込みました。

 

例えば僕に雑誌の撮影依頼がきたら、「1体だけこの子たちに任させてください。ちゃんと僕のほうでも見るので、お願いします」って編集さんに頼み込むんです。あと、撮影の現場で編集さんやライターさんに聞こえるように、「僕が作っているものにダメ出しをしろ」という打ち合わせをしてから現場に行ったり(笑)。

 

そうすると編集さんやライターさんが「若手美容師なのに、もうそんなこともわかるんですね」って一目置いてくれて、僕もそこで「でしょ? 僕なんかよりすごく見えているところがあるんですよ」と言ってみたり。そうすると、だんだん二人に興味を持ってくれて、1体を一緒にやらせていただけることもありました。

 

そうやって少しずつ現場を踏んでいくうちに、だんだん美容師として業界の人に見てもらえるようになり、雑誌を見た方から徐々に二人のお客さまが増えていきました。経営者が考える用意周到な計画はなかったけど思いついたことを打算的に考えず、「こうしたらもっとよくなる」「こうしたら売上が上がるんじゃないか」って思ったことを、とにかく実行していたように思います。

 

新生Cocoonの誕生! 今までのフォーマットを壊すために拡張移転を決行

 

 

現在の場所に拡張移転したのは、2012年の11月。実はオープンしたときからスタッフと「3年で移転しよう」という話はしていたんです。原価償却が終わっておらず、800万円くらい残っていましたが、今までの場所で作られたフォーマットを新しくしたいという思いがありました。

 

3年目ぐらいになると、このタイミングで掃くとか、このタイミングで後片付けをするとか、あの道具はここに置いているとか、みんなの中で規定の導線やフォーマットができてくるじゃないですか。そういう当たり前に慣れて、無意識にみんな考えなくなっていく部分もあったんです。

 

それになんとかパワープレーでやっていた3年間の中で作られたものを一度壊したかった。お客さまに与える心地よさや自分たちの振る舞い、サロンワーク中の導線をみんなで1から考え直したかったんです。そのためには環境を変え、スタッフの気持ちや意識の鮮度を上げることが大事だと思い移転を決意しました。

 

移転したタイミングで新卒を採りはじめたのも、同じ理由でした。これまでは中途採用ばかりだったので、「大人同士なんだから」といった譲歩や同調の雰囲気がありましたが、何もわからない1年生を入れることで、スタッフの考えやサロンの雰囲気が変わるんじゃないかなと思ったんです。

 

結果、動きも前の場所と変わり、教える立場としての自覚が芽生えていくのをひしひしと感じました。僕抜きでスタッフ同士が話し合う機会が増え、どんどんみんなの力でCocoonが作られていくのを感じ「あ、やっとCocoonがはじまったな」と思いましたね。

 

拡張移転をしたタイミングでCocoon初のヘアショーを実施。

 

>後編へ続く

 

プロフィール
Cocoon代表
VAN

1972年生まれ。長崎県出身。大村美容専門学校通信課程卒業。福岡市内にて『TONI&GUY』に勤めた後、上京。『DaB』、『HEARTS/Double』を経て、2009年に東京・表参道に『Cocoon』をオープン。

 

 

(取材・文/QJナビ編集部 撮影/河合信幸)

 

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