会社が潰れるほどの危機に気づけなかった。シドニーではじまった美容室が日本で成功を掴むまで ―10年サロン「SHINKA」のブランディングストーリー前編

2004年〜2007年 シドニー進出期

「勝負できる」と思った自分の感覚を信じ、人通りの少ないエリアに出店

 

 

『SHINKA』は2008年にシドニーにオープンし、現在はシドニーに4店舗、東京に2店舗を構えています。実は『SHINKA』をオープンするさらに4年前に、僕はシドニーで自分の店をオープンさせています。

 

そのお店では、個人のスポンサーがおり、雇われオーナーとして働いていました。最初は二人でお店をやる予定でしたが、もう一人が途中で都合が悪くなってしまったため、急遽一人ではじめる形になりました。

 

物件を選ぶ際に候補に挙がったのは、保護することを法律で定められている「ヘリテージ」と呼ばれる歴史ある物件と、ショッピングセンターの中にある物件。ヘリテージはあまり人のいないエリアのため、家賃が抑えられます。一方、ショッピングセンターは人通りが多いけれど、家賃が高い。考えた結果、まずはローリスクローリターンということで、ヘリテージ物件を選びました。

 

その建物は1800年代後半に建てられたものだったと思います。地上3階、地下1階ですが、それぞれのフロアは2席程度。広くはありませんが、日本では見たことがないタイプの物件だったので気に入っていました。

 

今でこそ人気のエリアですが、当時はまったく人がいなかったので、日本人が「お店をはじめる」と言っても、「すぐに失敗するでしょう」と、見られていたと思います。ただ、僕が街を歩いた感覚だと「勝負できる」と思ったんですよね。群を抜いて技術のあるお店や、大規模にビジネスを展開しているお店がなかったので、参入できると思いました。

 

その読みは当たり、顧客ゼロからオープンして2〜3ヵ月後には200万円近く売上げるようになりました。スタッフも最初は2人だけでしたが、半年後には8人くらいにまで増えていましたね。

 

他に先駆けて導入したレセプショニストの「おもてなし」文化が成功

 

 

最初の集客につながったのは、ちょうど同じタイミングで創刊された現地の日本人向け情報誌だと思います。16年経過した今でも続けていますが、表紙モデルのヘアメイクや撮影を自分が手がけていたことがサロンのブランディングに繋がったのかもしれません。それ以外の集客はほとんど口コミでした。

 

来店するお客さまは、僕が英語をほとんど話せない状態でシドニーに行ったこともあり、多くが日本人の方。しかし、僕が東京・青山で美容師をしていたことを聞きつけたアジア圏のお客さまが朝に訪れて、夕方には数人の友だちを連れてお店にきてくれる、なんてことも頻繁にありました。アジア人には日本の美容師の技術に憧れを持っている人が多いんです。

 

ブランディングする上で効果的だったのは、レセプショニストを早めに採用したこと。当時のシドニーでは、入口でカバンや上着を預かって、お帰りの際にはそれを渡す、という日本では当たり前になっていたレセプションの文化がありませんでした。技術に加え、こうしたおもてなしも評価してもらえたのかなと思います。

 

そうして経営ではとてもうまくいっていたのですが、お店をスタートしてから4年目の2007年、スポンサーの方と契約面で折り合いがつかなくなりました。結果的に、そのお店は経営を続けることとなり、僕だけが去ることになったんです。結局、数年後にそのお店は閉店してしまいました。

 

雇われオーナーとして働いていた美容室を去った後、お世話になっている弁護士に事情を話していたら、「実は閉店しようとしているサロンがあるんだけど、興味ない?」と言われました。そこの美容室を見に行ってみたら、なんと4年前オープン時に選ばなかったショッピングセンターの中の物件だったんです。しかもそこの店長は最初に一緒にお店をやろうと言っていた人でした。結局、そのお店の不動産契約権利を買い、サロン名や内装、電話番号を変えて自分の店として作り替えました。それが『SHINKA』の1号店です。『SHINKA』は現在6店舗ありますが、実はどれも違う意味を込めています。1号店の『SHINKA』には、髪だけでなく、心から華やかになってほしいという気持ちを込めた「心華」という意味を込めて名付けました。

 

>昼休憩に出たスタッフがそのまま戻らなかった。厳しい経営を変えたきっかけとは

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