会社が潰れるほどの危機に気づけなかった。シドニーではじまった美容室が日本で成功を掴むまで ―10年サロン「SHINKA」のブランディングストーリー前編

シドニーにはない価格競争に苦戦。日本出店時に感じた戸惑い

 

 

六本木の『SHINKA』でははじめて集客で苦戦しました。一時期はどこで首を吊ろうかと考えていたほど(笑)。

 

オープン前の集客プロモーションとして近隣の大使館に連絡し、コンセプトを説明してパンフレットを送ってはいました。しかし自分の顧客もゼロからはじめたので開店当初はほとんどお客さんがこず、3日連続で来店がゼロなんてことも普通にあったんです。

 

シドニーでは紹介で次から次へとお客さまがきていたので、割引も一切していませんでした。けれど、日本では価格競争があり、どうしてもその中で戦わざるを得ない。コンセプトを大切になるべく安売りはしたくないというプライドもあり、日本でのやり方に慣れるまでは戸惑いもありました。

 

売上が伸びた要因は、シドニーのときと同様にやはり口コミの力が大きかったです。大使館からきた人たちが、友人や家族に勧めてくれてどんどん広がっていきました。同時に近隣の住まれている日本人にもアプローチをし、日本人のお客さまもくるようになり、徐々に軌道に乗せることができました。

 

 

プロフィール
SHINKA Group Pty Ltd
CEO/Ryo

オーストラリアのシドニーに本店を持つヘアサロン「SHINKA Hhair Ddesign」の代表取締役。専門卒業後、青山の有名店に入社。21歳のときに原宿の美容室の店長に就く。24歳で渡豪し、オーストラリアのヘアサロンの代表に就任。その後、28歳で「SHINKA」を設立。現在は、シドニーに4店舗、東京都内に2店舗。総勢60名以上のスタッフ全員が英語対応可能なグローバル・のヘアサロンを展開しながら、セミナー講師などとしても活躍中。40歳で美容師を引退。

 

(取材・文/小沼理 写真/河合信幸)

 

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