会社が潰れるほどの危機に気づけなかった。シドニーではじまった美容室が日本で成功を掴むまで ―10年サロン「SHINKA」のブランディングストーリー前編

売上は好調な一方で、厳しすぎる経営スタンスにスタッフがドロップアウトしはじめる

 

2008年にオープンした『SHINKA』の1号店。

 

『SHINKA』は僕を含めてスタイリスト2人、レセプショニスト1人でスタートしました。どちらも、前のお店からついてきてくれたスタッフです。

 

前のお店の顧客情報を引き継ぐことはできませんでしたが、それでも「Ryoが新しいサロンをオープンした」と口コミがあっという間に広まり、たくさんのお客さまがきてくれました。お陰さまで、『SHINKA』はオープン以来、売上はうなぎのぼりの状態。翌年の2009年にはすぐ、2店舗目もオープンしました。

 

しかし、2店舗目を出した直後に、一度売上が落ちた時期があったんです。それは、僕の厳しすぎるやり方に、スタッフがついてこられなくなったからでした。当時の僕は経営のことをしっかり学ばないままずっと独学でビジネスを続けていて、雰囲気もすごくピリピリしていました。すごくストイックというか、スタッフに優しくしたらそのまま店がだらけていくんじゃないかと思っていたんです。厳しく怒ることが美学だと思っていたところもありました。2店舗の人事も、完全にトップダウンで、すべて自分で決め、スタッフには結果を伝えるだけでした。

 

そんな環境にスタッフはすごく不満をため込んでいたようです。

 

昼休憩に出かけたスタッフがそのまま戻ってこない、朝のオープン時間にレセプショニスト以外誰もいない、なんてこともありました。そんな状況が続いていたある日、「このままだと会社は潰れると思います」と二人のスタッフに言われたんです。「トップのやり方にただついていくよりも、スタッフが働きやすい環境を作っていくほうが残る会社になると思うし、自分たちもそんな場所で働きたい」と言われたときは、自分の考えを曲げられず聞く耳を持ちませんでした。でも、次第にそれも愛情を持っているからこそ言ってくれていることなのだとわかって、徐々に変える努力をするようになっていったんです。当時の自分は厳しくて、スタッフにとっては怖い存在だったと思うのですが、そんな中で言ってくれた二人のスタッフには感謝しています。現在その二人は、取締役と統括マネージャーとして会社の重要なポストで働いてくれていて、本当に恩義を感じています。

 

Ryoさんとともに会社を引っ張り続けている統括マネージャーを務めるKaoriさん(中央)と、取締役のHiroさん(右)。

 

スタッフとの信頼関係が強くなり、東京への逆輸入に向け動きだす

 

2012年にオープンした『SHINKA』の六本木店。

 

シドニーではビザの期限があるので、雇用する際には働ける期限が決まっています。ただ、これまでの自分の厳しいやり方では、ビザの期限よりも前に退職されてしまうことがよくありました。

 

それが働く環境を変えていくと、次第にビザ満期まで働いてくれるスタッフが増えていったんです。会社としても、「この人と、もっと働きたい」と思うことが多くなりました。

 

そんな中で打って出たのが、逆輸入として東京に店舗をオープンすることです。シドニーには信頼できるスタッフがたくさんいるようになったし、東京にも店舗を構えれば、ビザが切れたスタッフを東京で受け入れることもできます。実際、ビザが切れて東京の別の店で働いている元スタッフと話をすると、「せっかくの強みである英語を使った接客ができていない」という不満をよく聞きました。彼らのためにも、東京に基盤となるお店を作りたいと思ったんです。

 

日本1号店となる六本木がオープンしたのは2012年。掲げていたコンセプトは、「海外から戻ってきたスタッフが働ける場所であること」、「海外に出たいスタッフの基盤が作れる環境にすること」、「日本に住んでいる外国人が不自由なく英語を使えて来店できること」の3つです。

 

六本木という外国人が多いエリアに出店したので、海外志向であることに変わりはありませんでした。店舗の広さは33坪。美容師2人、レセプショニスト1人でのスタートだったので、人数に対して店舗が明らかに広い場所でした。理由としては、海外から戻ってくるスタッフが余裕を持って働ける環境を考慮して、最初からある程度のスペースがある物件を選んだんです。

 

>3日連続で来店客がゼロ。日本での基盤を構築できた理由とは?

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