「バカ美容師でもわかる!」と挑発的にカラー技術を披露するTETE筒井隆由 本人に直撃取材したら超破天荒な経歴の持ち主だった

家賃600万円と社長のプレッシャー…売上を上げるために導き出した結論

 

 

現地のメニューの相場も分からないから、夜逃げしたサロンのものを名前だけ変えて使っていました。頼れる人も周りにいないですし、もう本当にノリと根性でなんとかやっていた感じです。

 

サロンの立地は、日本でいう六本木ヒルズのような場所だったこともあり、お客さんはたくさんきました。けれど、月の家賃は600万円だったんですよね。利益を残すには売上をどんどん上げないといけない。「一番稼げるメニューは何か」とずっと考えて、その中でたどり着いたのがブリーチカラーだったんです。

 

ブリーチをしたら髪が傷むのでケアが必要だし、色が落ちたらまた染めないといけないし、それを繰り返すと切るしかなくなります。カラーが好きだからとかではなく、生き残るための選択だったんですよね。上海には友だちもいなかったし、他にやることがないから毎日深夜2時とか3時くらいまで研究しまくっていました。

 

やがて、バレイヤージュが大ヒットして、お客さんがひっきりなしに来てくれるようになりました。セミナーにも呼ばれても大忙しでしたね。

 

中国で人気の日本人美容師に

 

 

夜逃げ後のめちゃくちゃな状態からのスタートでしたが、僕は365日必死に働き続けました。血尿が出ても、40度の熱を出してもサロンに立ち続けました。結婚したばかりの妻を幸せにしたかったから、くじけている暇はなかったんです。死ぬ気で働きまくれば、結果は出るものなんですよ。4店舗まで拡大したところで持っていた会社の株を売却し、「お金持ちになりたい」という目標は達成できました。上海のタワマンに住み、全身バレンシアガという典型的な成金しぐさをしていましたね(笑)。

 

高みを目指して、次は中国の芸能事務所に所属するヘアメイクアップアーティストに転身。サロン経営していたときよりも、さらに報酬がアップしました。海外のアーティストや芸能人が中国で興行するとき、必ず仲介する事務所だったので、僕も数々の大物アーティストのヘアメイクをする機会に恵まれました。

 

日本でいうIKKOさんのような売り出し方で、僕自身がタレントのような活動もしており、大手メーカーのCMに出演したこともあります。ほかにも、美容専門学校の講師や、セミナー講師など、刺激的な仕事をたくさんいただきました。中国各地、東南アジア諸国、台湾など、年間60回くらい飛行機に乗って飛び回っていましたね。

 

>身の丈に合わない仕事が増えて怖くなり、日本に逃げた

 

Related Contents 関連コンテンツ

Guidance 転職ガイド

Ranking ランキング