美容師小説

美容師小説

-第3話-­【1945年 岐阜­2】 11歳の「一人百殺」

­【1945年 岐阜­2】

 

 

 

 

 もうひとつ。大野が教わったのは特殊潜航艇の操縦である。

 

 まず、代表的な敵艦の姿を叩き込まれる。大野たちは艦影を見た瞬間に、その名前を答えられるように仕込まれる。それから算数の授業である。敵艦との距離と、その速度を目測で瞬時に把握し、魚雷の発射角度を割り出す。分度器と三角定規。頭のなかの計算式。魚雷の速度を前提として、どの角度で発射すればどこで命中できるか。

 しかし、その計算は潜航艇から魚雷を射出するためのものではなかった。

 

 『菊水戦隊』という。楠木正成の旗印を冠したその部隊は、『回天』と呼ばれる特殊魚雷を武器とする戦隊だった。

 

 『回天』。別名『人間魚雷』。魚雷のなかに人間が乗り込み、操縦することで百発百中をめざした兵器。

 大野たちはその『回天』に乗るための授業を受けていた。つまり、海中の『特攻』。自分で操縦して敵艦にぶつかれ、と。

 

 人間魚雷は潜水艦の上部に設置される。海中で潜水艦から離れると、一度だけ潜望鏡を上げる。敵艦の姿を認め、その移動速度と方向、距離を目測する。すぐに潜望鏡を下げて計算し、自分が乗り込んだ魚雷の方向を決めるのだ。

 あとはひたすら海中を進む。

 窓はない。レーダーもない。エンジン音で探知されないように電動のモーターで進む。静かに、進む。途中で潜望鏡を上げて確認することは許されない。体当たりするまで、敵に発見されるわけにはいかないのだ。

 

 1945年になると、日本軍はいよいよ窮地に陥っていた。戦闘機のベテラン操縦士は多くが戦死。代わりの乗員を探そうにも、青年はほとんど戦地に赴いていた。そこで軍は対象年齢をどんどん下げていく。ついには11~12歳の国民学校の生徒にまで飛行機の操縦を学ばせるようになっていくのだった。

 さらに、生徒たちは特殊潜航艇の操縦も学ぶ。その理由は、空襲であった。

 

 

 日本本土に対する空襲は、前年の1944年末から激化していた。サイパン島、テニアン島などのマリアナ諸島が陥落し、そこから飛び立つアメリカ軍の長距離戦略爆撃機B­29が日本全土を射程にとらえていた。

 

 B­29は当初、日本の軍需工場地域を叩いた。東京、大阪、名古屋の三大都市圏。また地方都市でも製鉄所や軍需工場がある小倉、倉敷、徳山、神戸、四日市、浜松、川崎、日立、釜石、室蘭……。

 つづいて制空権を、つまり日本軍の戦闘機を排除し、飛行場を制圧して日本上空の自由航行権を奪い取ると、焼夷弾を用いた夜間無差別爆撃へとエスカレートしていく。

 戦況は日を追うごとに悪化。人も物資も足りなくなる。鉄が不足し、ガソリンも底をつき、飛行機そのものもなくなっていく。そこで魚雷だった。電動のモーターで動き、翼もいらない魚雷。しかも失敗はしない(はずの)人間魚雷。その操縦の訓練を、11歳の少年たちに対して始めていたのだ。

 

 教官が毎日、口にしていた言葉は「一人百殺」。

 おまえらが敵を100人ずつ殺したら、日本は100年生き延びることができる。

 

 国を救う。家族を助ける。11歳の少年は、もうそのこと以外は考えられなかった。特攻機に乗るか、人間魚雷に乗り込むか。逃げることは許されない。志願を募ればだれもが応じる。もし、志願しなければ「国賊」と呼ばれるのだ。本人が呼ばれるだけではない。家族全員が「国賊」として軽蔑される。さらに敵前逃亡でもしようものなら銃殺。つまり生徒たちには選択肢がなかった。あるとすれば特攻機か、人間魚雷か。まさしく洗脳。マインドコントロール。

 

 教官は、大野が聞きもしないのにこう言った。

 「もし、おまえらが回天でしくじったとしても、帰還するための電池はない」

 

 それは特攻機も同じだった。基地に帰還するためのガソリンは積んではいない。つまり帰還することは想定しない片道切符。体当たりして敵に損害を与えるか、死か。いや、どちらも死なのだ。生、という選択はない。だけどそれで国が、家族が助かるなら、命なんか惜しくはない。

 

 死ぬことになにひとつ、未練はなかった。少年は、少年だからこそ純粋に信じていた。自分は死ぬのだ。お国のために、死ぬのだ。ただし、無駄死にはしない。絶対に敵を100人殺すのだ。100人殺して、同時に死ぬ。

 

 教官はつづけた。

 「万が一、しくじったときのために、天皇陛下から一服たまわる」

 

 回天に乗り込む操縦士には、毒薬(青酸カリ)が渡される。動力を失い、海底に沈みゆく前に、水圧で押し潰される前に、死ねる。あるいは水深が浅く、海底に着したとしてもすぐに酸素がなくなる。その前に、死ねる。自らの意志で、死ねる。それが「安心」材料となる。そんな異常な空気が、いや狂気が、当時の日本を支配していたのであった。

 

つづく