Z世代のスター発掘! 技術だけじゃない、カルチャーとセンスが武器  DaB MIXのスタイリスト・富永 榛人(とみなが はると)さんのセルフブランディングとは

 

 

SNSでの競争がどんどん激しくなっている近年。デジタルネイティブ世代の若手美容師たちは、どんな武器を持って激しい競争の中を勝ち抜いているのでしょうか?

今回は、DaB MIXのスタイリスト・富永 榛人(とみなが はると)さんです。美容室で働く両親のもとに生まれ、英才教育のように美容やカルチャーを浴びて育った富永さん。学生時代からファッションスナップの常連でもあります。おしゃれな富永さんのブランディングはどのようなものなのか伺いました。

 


 

美容師の両親仕込みのおしゃれで15歳からファッションスナップ常連に

 

 

僕は神戸出身なのですが、父が美容師で、母はレセプションという、両親がともに美容室で働いている家庭で育ちました。なおかつ、家は少し変わった考え方で、特徴的なエピソードがいくつかあります。ひとつは、電車の便がよい場所に住んでいたせいもあり、家に車がなかったこと。両親いわく、「車を買うくらいなら服を買う」という考え方らしいんです。ほかにも、ゲームは買ってもらえなかったけど、服や音楽、映画、本などカルチャーに関わるものだったら惜しみなく与えられるなど、一般的な家庭に比べると特殊な環境だったと思いますね。

子どもの頃のヘアスタイルに関しても、完全に父親におもちゃにされていました(笑)。例えば、ツーブロックといえばDaBの代表である八木岡(聡)が考案したヘアスタイルですが、うちの中学校は校則で禁止されていたんです。にもかかわらず、父親にツーブロックにされ、先生からめちゃくちゃ怒られたこともありました。

 

 

そんな両親の影響を受けた僕は、15歳のときにコム・デ・ギャルソンのセットアップを着て街に行き、「やばいやつがいる!」とストリート系のファッション雑誌で話題に…。そこから、ファッションスナップの常連になりました。

そんな環境で育ちましたが、両親から「美容師になれ」と言われたことは一度もありませんでした。でも仕事は楽しそうでしたし、英才教育を受けたことで、物心つくころには僕もすっかりファッションやカルチャー、美容が好きになっていたので、自然な流れで高校生のときには美容師になろうと決めていましたね。

 

技術だけじゃない、DaBは美容師が職人として“ヘアデザイン”を生み出す場所

 

 

DaBを知ったのも高校生のときです。当時は自分がそこで働くというビジョンは見えていませんでしたが、父に連れられて一度カットをしに来ていたんですよ。その後美容専門学校に進学して、就職先を探す際に、高校生のときのことを思い出して話を聞きに行きました。そこで、DaBは職人気質でヘアデザインを生み出す美容師と、そのデザインを楽しんでいるお客さまがいるサロンなんだ、と感銘を受けて入社を決意しました。

 

アシスタント初期の頃は、めちゃくちゃ挫折を味わいましたね。自分ではファッションやカルチャーが武器になると考えていましたが、技術がうまい同期や器用な人に比べると、僕は本当に何もできない上に、気遣いもできなかった。なので、1〜2年目は本当に苦しかったです。

 

 

プライドをへし折られて、「美容師に向いてない」と思うこともありました。それでも辞めることを選ばなかったのは、両親の姿を傍で見てきたことが大きかったと思います。美容師という仕事が身近だったし、10年以上同じサロンで働いていた親に恥じない自分でいたい、という思いもありました。

そして今でも心から思うのですが、DaBに入って一番よかったのは、尊敬できる先輩や師匠に出会えたこと。それくらい、辛い時期を含めて今まで、同期や先輩には沢山助けられてきました。

 

>技術特化型ではなく、ヘアデザインとセンスを武器にしたい

 

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