【名古屋の赤ペン先生初登場】コロナ禍にブレイク『住吉塾』会員数は1200人超え。住吉望の波瀾万丈物語・前編

独学でカットを勉強し直して、教育ディレクターに

 

ひょんなタイミングでスタイリストデビューしてしまった僕には、カットを教えてくれる先輩はもう誰もいませんでしたし、逆に僕が教えないといけない環境だったんです。カットがわからなさ過ぎて、そこから猛烈に独学で勉強しました。幸いなことに店にはスタイル本がいっぱいあったので、ウィッグを買って営業後に毎日それを真似して切りました。なんとなく仕組みが分かってきたところで、それをアシスタントに教えるということを繰り返していたんです。

 

 

その店舗はカットが2000円を切る高回転サロンだったので、とにかく集客には恵まれていて、初日から1日20人切っていました。そこは中部エリアの中でも、上位の売上を誇っていた店舗でした。その環境は、どんどん人頭カットの経験を積んで腕をあげたかった僕にとっては絶好の職場だったんですよ。

 

そうしてカット練習をしながら実績を作り、腕に自信もついてきたところで、次は名古屋中心部の高単価のサロンへと移りました。異動先の栄店でも、何年かかけて実績を作り、店長になりました。中部エリアは本社から重要視されていなかったのか、教育責任者も不在なままだったんです。ですが店長として技術を底上げしていく責務を感じていた僕は、自ら志願して教育担当になりました。会社から特別な手当がつくわけではなかったのですが、人に教えるのが好きでしたし、将来的に教える仕事をしたいと思うようになっていたからです。

 

 

その状態を数年続けていて、いつか会社側が僕の貢献を認めてくれて、教育環境の整備に対してサポートしてくれるんじゃないかと期待していたんですよね。でも一向に理解はなく、練習会で使っているウィッグ代も自腹なまま。そんなある時、「スタッフを入れるだけ入れて放置とは何事だ!」と僕もブチ切れてしまったわけです(笑)。それを発端に会社との関係性が悪くなり、10数年働いた会社でしたが、最終的には退職に追い込まれました。

 

 

>美容業界は、教育すると稼げないビジネスモデル!?

 

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