100年に一度の大不況の中でのオープン。命をかける覚悟だった -10年サロン「Door」のブランディングストーリー前編

2020.02.06

20092010年 不況スタート期

融資がいくつも立ち消えに。前途多難だったサロンオープン

 

 

僕は都内の住宅街にあるサロンで美容師として働きはじめ、その後、下北沢・原宿・代官山の『RITZ』で12年ほど働いた後、2009年に『Door』をオープンしました。

 

独立のきっかけは、40歳という年齢を目前にして自分の人生プランを改めて考えたこと。当時、僕はスタイリストとして月の売上700万円を達成していました。通常のスタイリストではなかなか難しい記録を成したことで、次のステップを考えようと思ったんです。

 

最初に勤めていたサロンで3店舗のマネジメントを行っており、その経験も背中を押してくれて、独立に踏み切ることができましたね。

 

しかし、当時はリーマンショックの煽りを受けた「100年に一度」とまで言われる大不況のさなか。『Door』のオープンもその影響を受け、もともとあった融資の話がいくつも立ち消えになりました。自分で独立資金を用意して、なんとかオープンにこぎ着けたんです。

 

周囲の反対を押し切り共同経営へ。店名に込めた「2人で輝く」メッセージ

 

 

『Door』は、同じく『RITZ』で働いていたエノキモトジュンとともにオープンしました。エノキモトとは馬が合うけど、性格や考え方のタイプはまったく同じではなくて、それぞれのものの見方がある。違うカードを持っている僕たち2人が力を合わせれば、いい化学反応が起きると思いました。

 

実は、最初に共同代表で経営する話したとき、経営コンサルタント含め周囲からは「長続きしないからやめたほうがいい」と反対されたんですよ。でも、それを押し切って共同経営を選んで正解だったと思います。もう10年以上になりますが、エノキモトとは意見の違いはあっても、深刻な仲違いをすることはありません。問題が起きたときにはいつも2人で乗り越えていますから。

 

 

店名は分かりやすい言葉がいいと思い『Door』にしました。ただ、単純すぎてもインパクトがないので、読み方を“door”の語源であるラテン語の「ドゥーア」にしています。

 

「扉」という意味に加えて、『Door』のDにはdeuxやdual、つまり「2つで」という意味もあります。僕とエノキモト、スタイリストとアシスタント、スタイリストとゲスト。2人で魅力を掛け算して、輝いていこうというメッセージを込めています。

 

人を育てることが、集客につながる『Door』のアスリート方式

 

 

最初の店舗は22坪ほどのフロアにセット面が7台、シャンプー台が3台。正直、かなり詰め込みました。スタッフは6名で、僕とエノキモトを含む3人がスタイリストです。

 

オープン直後は、正直いっぱいいっぱいでしたね。開業資金を返済しながら、スタッフを教育し、食べさせて、撮影の仕事もして……。二足どころか、三足、四足のわらじを履いているような日々でした。もちろん、当時は出資してくれる人がいるわけでもないので、お金もあまりありません。そんな中で周囲にいいお店だと思ってもらうためには、とにかくスタッフのパフォーマンスを上げるしかないと思いました。

 

移転前の『Door』店舗

 

僕は人を育てることが集客につながると考えています。そこで行ったのは、地道なマンツーマンのレッスンです。技術のあるスタイリストがデモンストレーションを見せて、「同じようにやってみて」というだけではなかなか人は育ちません。『Door』では、アシスタントが作ったデザインを先輩に見てもらい、カット中の動きを撮影した動画を自分で見て復習し、いい点と悪い点を分析しながら成長していけるようにしました。「アスリート方式」と呼んでいるやり方です。マンツーマンでの指導を通して、スタイリストとアシスタントの信頼関係も築けます。

 

それから力をつけてもらうために、スタッフには自力集客も頑張ってもらいました。当時登場したばかりだったSNSや集客サイトも積極的に活用しましたね。

 

>厳しい状況だからこそ原点を見返す

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