近所の草花を”野にあるままに”生ける -SIDE BURN 太市さんの習慣 前編-

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美容師の枠にとどまることなく、詩人、写真家、ミュージシャンなど七色の輝きを放つマルチアーティスト、SIDE BURNの太市さん。JHAグランプリ、ロンドン審査員賞ダブル受賞という偉業を成し遂げたのち、あえてコンテストから距離を置き、独自の美容を追求しています。我が道を行く生きざまから、異端児と呼ばれることもある太市さんに、今夢中になっていることを語ってもらいました。インタビューは前後編の2回。今回は前編です。

 


 

 花人、川瀬敏郎氏の「一日一花」に魅せられて

 

僕はこれまで30年以上美容師をしていますが、体の底から湧き上がる感情を、美容の枠だけにおさめられず、詩や写真、音楽などの表現に落とし込んできました。1年半くらい前からは生け花を始めています。

 

自分の中にある日本人としてのアイデンティティを高めるために、「いずれ生け花もやってみたいな」と思っていたのですが、ちょうどいいタイミングで川瀬敏郎さんの著作、『一日一花』(新潮社)と出会いました。作品を見て衝撃を受けたんです。こんなにシンプルで豊かな世界があるのかと。

 

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『一日一花』に習い、僕は「近所の草花」というテーマで作品を紹介しています。文字通り、近所に生えている草花を「投げ入れ」という手法で、花器に生けています。この「投げ入れ」はとても自由で粋なやり方。剣山に花を固定する生け花には「型」があります。「型」があるということはそこに当てはめる必要がある。僕はそれを窮屈に感じるんです。一方で「投げ入れ」はどの角度で花器にさしてもいい。その角度に「想い」があればね。たとえば、「この椿は凛として、天に向かって伸びていこうとしているから、垂直に近い角度でさす」という具合です。

 

「花は野にあるように」は千利休の言葉ですが、花は自然のなかで咲いているだけで美しいもの。同じように見える椿の花でも、よく見比べれば個性があります。その花だけが持つよさを引き出すためには、この花器がいい、この角度が美しい、と感じられないとできないんです。

 

 

>生半可な覚悟で花を生けてはいけない

 

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