「私がトータルビューティを提唱する理由」 TWIGGY代表 松浦美穂スペシャルインタビュー 前編-

 

 

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美容師、ヘアメイクとして活躍する「TWIGGY」オーナーの松浦美穂さん。これまで、数々のモデルや女優などを担当し、ファッション誌や舞台などでもそのエッジーなスタイルと世界観を打ち出してきた女性トップスタイリストのひとり。また松浦さんといえば、“トータルビューティ”の提唱者としても知られていますが、果たしてどんな人生を歩み、今のスタンスを確立していったのか。お話を伺いました。

 


 

「あなたのカット嫌い!」と言われて絶句…。夜はクラブ通いの日々を過ごした20代

 

-松浦さんはご実家が美容室だったそうですね。

 

「そうなんです。小さな美容室でしたが、私の母と姉と、ほかに2人お姉さんが働いていて、その2人がとてもおしゃれでファンキーだったんです。ちょうど時代は1965~1970年頃、サブリナパンツやマイクロミニ、ロングブーツなんかが流行っていた時代。メイクもダブルラインを入れて、つけまつ毛を付けちゃ外して…を鏡の前で繰り返していて、とにかく美に対して意欲的なお姉さんたちでした。そんな環境だったから、美に対する意識は物心つく前から自然と備わっていたような気がします」

 

-美容師になって、最初に勤めた「六本木美容室」ではどんな美容師だったのでしょうか?

 

「ヴィダルサスーンでカット講習を受けた後に就職した六本木美容室は、ヴィダルサスーンと全く正反対のヘアサロンでした。だから、六本木美容室時代の師匠の小松先生に『あなたのカット硬いわね~キライだわ』って言われてて…もう絶句。それはそれは、よく落ちこんでいました(笑)。

 

性格的には、目上の人の前でも怯まないし媚びませんでしたね。当時は、小松先生が社交的な方だったので、パーティーなどに連れていってもらうことも多かったんです。そういう場でも、若いときって何も知らないから怖いもの知らずですよね。どんな人にもひるまないし、媚びないでいられる。それが若いからこその強みだったりするんですけどね。

 

小松先生の顧客の女優さんたちを代わりに担当することもあったのですが、恐れ多くてできないと恐がっていると、先生から「美穂ちゃんならできるから」って言われる。そんなこと言われると不思議と「大丈夫かも」と思うんです。それで結果的に本当に仕上げることができちゃって、気がつくと度胸がついていたんですね。恐がっていることと、できちゃうことのギャップ。プロとアマの境目でそれを繰り返して、どんどん自分に自信をつけていった時期でした」

 

-その後、1988年に渡英されますがその目的は何だったのでしょうか?

 

「六本木美容室時代にサロンワークと共に、ヘアメイクの仕事もときどきやらせてもらっていました。が、音楽が好きでミュージシャンに憧れがあって。60年代からはファッションと音楽に密接な関係にあったロンドンで本物を見たり聞いたりしたいと思い、そんな仕事に触れられたらいいな、と思うようになったんです。それでロンドンへ行こう! と」

 

-ロンドン以外は選択肢になかったんですか?

 

「私って新しいことを始めるときは、今までとは全く正反対の入口から入るんです。そうすると今まで知らなかったことが知れる。

ロンドンに行ったのもそう。六本木美容室とロンドンって真逆の雰囲気なんです。六本木美容室は、どちらかというとパリやミラノのエレガントな雰囲気。そんな性格もあってあえてないものを選択しました。

 

また80年代当時は、ファッションやインテリアと音楽が融合した60年代のロンドンカルチャーに魅かれていたのもあります。『さらば青春の光』、『BLOW-UP』、『ナック』、『時計じかけのオレンジ』、『パフォーマンス』などが心に残っています。なかでも『BLOW-UP』のファッションの完成度は高かった。ペギー・モフィットが出ている映画で、カメラマンがヴォーグの撮影をしているシーンから始まるんですが、作品自体がすっごくオシャレで。そのほかは、今でいうクラブの走りであるツバキハウスのロンドンナイトやピテカンに通い始めて、そこでノれる、アガるっていう感覚を体感して『やっぱりロンドンだ!』って思ったんです。それも大きなきっかけでした」

 

>ロンドンのストリートで松浦さんが受けた、カルチャーショック!

 

 

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