ないなら、自分で作ればいい。現場視点で生まれた道具が、世界中で愛されるまで。Y.S .PARK パーク ヤンスーのびよう道

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修行時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

今回は、世界50カ国以上の美容師に愛用されるブラシやコームを生み出してきたY.S .PARK(ワイエスパーク)代表・パーク ヤンスーさん。日本生まれの在日韓国人として育ち、日本文化を深く愛しながら世界へ目を向けてきたパーク ヤンスーさん。その原点は、1980年に代官山で創業したY.S.PARKにも色濃く息づいています。誰もが知るそのブランドが生まれた背景には、「より速く、より簡単に、より正確に」という一人の美容師としての想いがありました。

モトクロスに打ち込んだ高校時代、ロンドン・パリ・バンクーバーでの経験、そして日本でサロンをオープンし、美容道具をつくることになったその背景まで。

50年にわたる美容師人生を振り返りながら、ものづくりへの哲学と、これからの美容師へ伝えたいメッセージを伺いました。

 


 

モトクロスの世界から美容へ

 

 

高校時代は、モトクロスのレースに明け暮れていて、本気でプロレーサーになろうと思っていました。でも、大怪我をしたこと、そして自分の実力に限界を感じて、その夢を断念したんです。2位にはなれるけど、1位にはなれない。コーナーを曲がるとき、自分はブレーキをかける。でも、1位になる人はアクセルを踏んでいる。「これは無理だな」と。

そして選んだのが、美容の道です。理由はシンプルで、「キレイなものをつくることが好きだったから」。そこまで深く考えての進路選択ではありません。

でも、母親はすごく喜んでくれました。常に生死と隣り合わせの世界にいたので、「これでお前が死ぬことはなくなった」と言ってくれて。その言葉は今でもよく覚えています。

そんなふうに美容の世界へ足を踏み入れて、気づけば50年。自分でも驚きますね。

 

専門学校を卒業して就職したのは、六本木にあったイギリス人が経営する美容室です。スタイリストのほとんどがイギリス出身で、日本人のスタイリストも英語を話せる人ばかり。お客さまも大使館関係の方が多く、9割が外国人。サロンの中では常に英語が飛び交っていて、当時まったく話せなかった僕は、独学で英語を勉強して身につけました。

 

英語も話せないのに、なぜそのサロンを選んだのかというと、大好きなオートバイも乗馬も、イギリスが聖地だったからです。それに、どうせ美容師になるなら、インターナショナルを目指したいと思っていました。なれるかどうかなんてわかりません。でも、とにかく目指してみよう、と。

 

 

そのサロンは、分業制でした。当時の日本ではかなり先進的でしたが、海外ではそれが当たり前。だからそのサロンもティンター(日本でいうカラーリスト)とスタイリスト、レセプショニストと、それぞれ役割が明確に分かれていました。その中で僕は、スタイリストになる道を選びました。

 

でも、今まで男兄弟4人で育ったので、女性のことなんて何もわからなくて。シャンプー前にブラッシングすると、髪の毛にボリュームを出すためのすき毛が出てきてびっくりしたりね。「こんな世界があるのか!」と驚くことばかりでした。毎日が未知との遭遇のように感じていたことを記憶しています。

 

デビュー試験は、イギリス人のスタイリストによるオーディションでした。六本木でモデルさんをハントして、ワンレングスやレイヤーなどのベーシックなカットを行い、その仕上がりで合否が決まるんです。私もなんとか合格できて、2年ほどでデビューしました。当時はモデルハントもしやすい時代でしたね。声をかければほとんどの人が協力してくれましたし、声をかけた人の紹介がつながって、最終的にはハントしなくてもモデルのウェイティングができるくらい。デビューまでに100人以上はカットしたと思います。

 

 

当時は男性美容師自体が少なくて、いたとしても、どちらかというと中性的な雰囲気の人が多かったんです。でも僕は外見も中身も、モトクロスをやってきたバリバリの体育会系。「美容師には向かないから辞めたら?」と先輩に言われたこともありました。僕みたいなタイプは、その頃珍しかったんですよね。

でも、辞めようとは思いませんでした。自分にはこれしかないと信じていたからです。それに、当時から美容師の仕事は「大変でしょ」「辛いでしょ」と言われることが多かったですが、自分にしてみれば、「何がそんなに辛いんだろう」と思っていました。命に関わるモトクロスのレースを経験してきた自分からすると、どれだけ忙しくても死ぬことはないし、シャンプーを何百回やったところで命を落とすわけでもない(笑)。比べる対象ではないのかもしれませんが、僕はそう感じていました。むしろ、「なんて楽な仕事なんだ」と思っていたくらいです。

 

何よりも、自分にとっては毎日が新しいことの連続でした。そして仕事をして、練習をして、寝て、目が覚めたらまた店へ行く。その繰り返しです。だから、「辞めたい」とか、「働くモチベーションとは」なんて考えたこともなかったですね。

 

>世界を渡り歩いて、見えてきたもの

 

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