二十歳の頃、どう過ごしてた? K-two 谷口翠彩さんの二十歳の頃。

成人して、大人としての第一歩を踏み出す年齢であり、多くの美容師さんにとっては、美容師人生のスタートでもある二十歳。今、業界で活躍するみなさんは、当時どんなことを考え、どんな日々を過ごしていたのでしょうか?
今回は、QUEEN’S GARDEN by K-two GINZA(クィーンズガーデンバイケーツーギンザ)のエグゼクティブディレクター、谷口翠彩(たにぐちみどり)さんに二十歳の頃のお話を伺いました。
二十歳の頃、どう過ごしてた?

─二十歳の頃の谷口さんは、どんな学生でしたか?
とにかく、学校が大好きな子でした。と言っても、最初は「どうしても美容師になりたい!」と思っていたわけではなくて。手を動かして物を作る仕事がしたくて、元々は洋服を縫う人になろうと思っていたんです。でも、いざ現実的に考えた時に、ファッション関係の仕事はすごく狭き門だし、進路が限られているかも?という気持ちに。なにか近い世界で働きたいと思い、ファッションと切っても切り離せない関係性の仕事である美容師を目指すことにしました。
中でも、私が通っていた大村美容専門学校(現・大村美容ファッション専門学校)は、当時は服飾系の専門学校が隣に併設されていて。一緒にコンテストなどもできると聞いて、絶対にここに通いたい!と思いました。それに、その頃の福岡で大村美容っていうと「すごくおしゃれな人がいっぱいいる、イケてる学校」というイメージだったんですよ。憧れの学校に入れたことがすごく嬉しかったのを覚えていますね。

─美容の道に進むことは、ご両親も応援してくださっていましたか?
いえ(笑)。実は、専門学校に行くことには反対されていたんです。大学進学を勧める親の意見を押し切って専門学校に入ったので、「やるならちゃんとやりなさい」と専門時代はバイトも禁止。学校の勉強や、練習を頑張るように言われていました。
でも、学校に行くのがとにかく好きだったので、全く苦ではありませんでしたね。実家から学校までは電車で1時間半ほどかかるのですが、「自分が教室の鍵を開けたい!」と思い、毎朝6時半に家を出て、8時前には教室にいたほど。
学校自体も厳しかったので、サボるなんてもっての外だし、みんな皆勤賞を目指すのが当たり前、みたいな空気でした。2年間休まずに行くと卒業式にハサミをもらえる制度があったので、友達とみんなでそれをもらうことを目指していましたね。

ただ、朝一番に行くようになったきっかけは、好きな先生と話したかったからというなんとも不純な動機(笑)。それでも、せっかく学校にいるならと自然と朝練をするようになり、いつからか習慣になっていました。コンテストにもよく出ていたので、オールウェーブやワインディング、ウィッグのカットをやっていたと思います。
─就職先を選ぶ際は、どんなことを考えていましたか?
有名店で働きたいという思いが強かったです。働くエリアはあまり気にしておらず、そのサロンに行きたいか、否かが私の軸でした。
当時の私の第一志望は、福岡市内にあったSHIMA。ずっと通っていた憧れのサロンでしたが、やはり狭き門で落ちてしまって。次に福岡市内の別の人気店を受けたものの、そこも最終選考で不合格に。新卒採用の就活中は一社ずつしか受けられなかったので、その2社の選考が終わった時点でもう秋頃になってしまっていたんですよね。二次募集をしているサロンも減ってきていて、東京の有名店などを探していくつか受けたものの、結局どこにも受からず…。
「納得できないところは受けたくない」というこだわりの強い性格もあって、就職先が決まらないまま美容学校を卒業しました。

─そうだったんですね…。卒業後は、どのように動いたのでしょうか?
しばらくは、福岡に残ってアルバイトをしていました。時間があるので教習所に通ったりして(笑)。就活のために定期的に東京に出たりもしていましたが、わりとのんびり過ごしていたんです。でも10月頃に、そろそろちゃんとしないと周りと差がつくな、と急に思い立ち、東京に行くことを決めました。
一週間くらい東京に滞在して、その間に勝手に家を借りて地元に戻って、両親に「東京に行きます」と宣言。思い立ってから2週間ほどで、サロンも決まっていない状態で上京してきました。我ながら、すごい行動力だなと思います。
10月末頃に出てきてからいくつか有名店を受けて、そして落ちて(笑)。のらりくらりと過ごしていたら、親から「年末までに受からなかったら帰ってきなさい」と言われたんですよね。何もできずに地元に帰るのは嫌だったし、なんとかしないとと思って、最後に受けたのがK-twoでした。合否が出たのは12月の下旬。本当に首の皮一枚つながった、という状況でしたね。