大阪と東京。2回のリセットを選んだのは2つのルーツがあったから―CODE+LIM ワタローさんの働く理由

とにかく目立つこと! 未知の大阪で有名アシスタントになる

 

 

なぜ僕が「大阪で一番目立つアシスタントになる」ことを目標にしたのかというと、大阪で目立てば、東京でも目立てると思ったから。サロンワークやレッスンはもちろん、イベントに積極的に行ったりと、プライベートも全力で頑張りましたね。自分がアクティブに動けば、新しい人とのつながりが増えいく。当時は本当に寝ることがムダだと思っていました。

 

あと僕は、美容師が自分の表現したいことを伝えるには作品が必要だと考えていたんです。なので、アシスタント2年目から月に1回作品撮りをして、作品が溜まったらギャラリーで個展を開いていました。それが評判を呼び、個人でのヘアショーや、イベントの開催につながって、大阪にいながら東京の雑誌から仕事の依頼がくるようにもなりました。

 

また、サロンではスタッフとの信頼関係を大切にしていこうと思っていたので、アシスタントリーダーをやったり、先輩のセミナーで自分のモデルを紹介したり。そうやって先輩から信頼してもらえるようになったら、セミナーに連れて行ってもらえるので、地方の美容師さんに自分の顔を覚えてもらえる機会になりますよね。そういった活動をしていたからなのか、アシスタントのころから、ディレクターのカンタローや原の仕事についていかせてもらうこともあり、とても貴重な経験ができました。LIMのいろんな人たちの姿を見たから、今の自分が作られたように思います。

 

憧れの人たちと同じく、スタイリストデビューは原宿でゼロスタート

 

 

実は心の中でずっと「スタイリストデビューは東京で」と決めていたんです。それはLIMの美容師として働きたいと思ったきっかけが原宿のLIMCODE だったから。スタイリストとしてのキャリアは同じところからはじめたいと思っていました。大阪のときから東京でスタイリストデビューしたい意思を伝えていたので、4年のアシスタント期間を経て東京に移動が決まりました。

でもいざ東京にきてみると、今までの大阪のお客さまもカットモデルもいません。大阪で今まで積み重ねてきてものが、またゼロに戻った状態でした。スタイリストデビューしたとはいえ、またモデハンからのスタート。

 

そのころは、金髪のロングヘアだったこともあって、自分の風貌に驚かれ、声をかけてもなかなかうまくいかなくて…。はじめのうちは「こういう風貌でも受け入れてくれるコアなお客さまがきてくれればいいや!」と尖っていたのですが、「東京に順応していかなきゃ次に進まない」と感じ、いわゆるモテ系のヘアスタイルにイメチェンしました。

 

正直大変でしたけど、1年目は知名度を上げることと、サロンワークで売上100万円をクリアすることを目標にして、「1年後はこうなっている」と想像してワクワクもしていました。実際は、デビュー後1年半くらいは伸び悩んだんですけどね(笑)。

 

>青春マンガのような人生を。ワタローさんが逆境に身置く理由とは?

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