年間指名数10,000人を3年キープ、80連勤、年間休日15日。美容業界を変える「何者か」になるために。GOALD 松本拓馬のびよう道
ライジングカット誕生前夜

そんな中で、ようやくスタイリストデビューできたのが25歳の頃です。すると翌月から、予約がずっと埋まり続けるようになりました。今は、技術が上手いだけで売れる時代ではないと思うんですが、当時はまだSNSもそこまで普及しておらず、「技術力=支持」に直結する時代だったんです。雑誌やウェブメディアに掲載したスタイルが好評だったことをきっかけに、売り上げは一気に伸びていきました。
その中でも特に反響が大きかったのが、メンズスタイル。メンズのお客さまが急激に増えていったことで、自然とメンズヘアに比重を置くようになっていったんです。最初からメンズ特化と思われることもあるんですが、実はそういうわけではなくて。需要に応じて、自分の強みが一番活きる方向へ自然に舵を切っていった感覚ですね。
僕の代名詞ともいえる「ライジングカット」が生まれたのも、その頃でした。きっかけは、ヘアショー出演の依頼です。ただ普通にカットするだけでは面白くないなと思って、「魅せるカット」をやろうと考えたんですよ。当時、レディースでかっこよく見せる美容師さんはたくさんいましたが、メンズでそれをやっている人はほとんどいなかった。だったら差別化できるんじゃないか、と。単純に“上手い”だけじゃない、付加価値をつくりたかったんです。
すると、そのヘアショーを見に来ていた美容学生が実際に髪を切りに来てくれて、サロンワークでも「ライジングカットをしてください」とオーダーしてくれたんです。
その様子を動画に撮って、当時のTwitterやVineに投稿したところ、大きくバズって。そこから一気に加速して、外部の仕事もどんどん増えていきました。

定休日には取材やセミナー、テレビ収録が入り、休みはほとんどない状態でしたね。一番忙しかった頃は、80連勤して1日休み、そのあとまた50連勤。年間休日は15日ほどだったと思います。サロンワークも超過密で、年間指名数10,000人超を3年間キープし続けていました。さすがに、キャパオーバーでした。メンタルが落ち込むというより、感情の起伏が異常に激しくなったり、突然ぼーっとしてしまったり。今思えば、適応障害に近い状態だったんじゃないかと思います。完全に、やりすぎでしたね。寝ても、起きても、夢の中でも仕事をしていました。
そこから少しずつ働き方を見直して、2週間に1回は必ず休むようにして、予約人数も1日30人ほどに抑えるように。それでも、一般的にはかなり多いと思います。普通は20人でも相当ハードなはずなんですが、僕の感覚だと、20人くらいがちょうどいいんですよ(笑)。