年間指名数10,000人を3年キープ、80連勤、年間休日15日。美容業界を変える「何者か」になるために。GOALD 松本拓馬のびよう道

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代です。もちろんそれも良いですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があっても良いかもしれません。
「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修行時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。
今回は、昨年GOALD(ゴールド)へ電撃移籍を果たした松本拓馬(まつもとたくま)さんが登場。人間性でつまずいたアシスタント時代から、超高速カット「ライジングカット」を武器にメンズ特化美容師のスターへ駆け上がるまで。そのびよう道を辿りながら、“何者か”になることで美容業界を変えようとしてきた、松本さんの熱い信念に迫ります。
学生の頃から目指し続けた「カリスマ美容師」

5歳の頃から、髪を触ることと、料理をすることが好きだったんです。高校生になり、進路を決めるタイミングで友人に誘われたことをきっかけに、美容の道へ進むことを決意しました。
ただ、当時の僕は美容師という職業そのものを、どこか好きになれずにいたんです。給与は低く、国家資格を持っていても技術力が伴っていない。特に当時のメンズ美容は、「オーダー通りの髪型にならない」のが当たり前の時代でした。幼い頃から憧れていた職業だからこそ、「この業界の現状を変えたい」と強く思っていました。それが、自分の生きた証になればいい、と。
では、どうすれば業界を変えられるのか。僕がたどり着いた答えはシンプルでした。――カリスマになること。発信力を持たなければ、業界は変えられない。だからこそ僕は、“カリスマ美容師”になることを本気で目指したんです。
器用だけど、人間性に難あり!?のアシスタント時代

アシスタント時代は、誰よりも練習していたと思います。朝は営業時間の3時間前に出勤して練習し、営業後も23時過ぎまで残って練習。当時所属していたサロンは、僕が入社した頃はまだ一般的なレディースサロンだったので、メンズもレディースも関係なく学んでいました。
ただ、当時は今のようにカリキュラムが整備されている時代ではありません。練習はほとんど我流。特にメンズカットは理論自体がまだ確立されておらず、とにかく自分で考え、身体に叩き込んでいくしかなかったんです。そんな中で、唯一苦戦したのがレディースのブローでした。右はうまくできるのに、左になると途端にできなくなる。そこで「だったら両利きになればいい」と考えて、私生活まで左手中心で過ごすようにしたんです。その結果、今ではハサミもアイロンも左手で扱えるようになりました。もともと器用で、感覚を掴むのは早いタイプだったこともあり、技術面で大きくつまずくことは少なかったですね。

ただ、人間的にはかなり問題児だったと思います(笑)。なんというか、アシスタントなのに態度だけは大御所みたいだったんですよ。自分より下手だと感じた先輩に、先輩として接することができず、とにかく我が強かった。今振り返るとかなり天狗になっていましたね。
当然、毎日のように全員から怒られていました。怒られすぎてストレスで胃に穴が開き、体重が49キロまで落ちたこともあります。スタイリストデビューが決まっていたにもかかわらず、1年間アシスタントをやり直したこともありました。たぶん、普通なら辞めていたと思います。実際、「いつ辞めてもいいよ」と言われるくらいでしたから。
でも、そのときの僕は、「なんで俺が辞めなきゃいけないんだよ。辞めるならそっちだろ」くらいに思っていたんです。なんか、我ながらいい性格してると思いますね(笑)。