“深さ”を追求し続けることで、自分だけの美容をつくる―hodos 山下純平のびよう道
あえて不自由を選ぶということ

大学を卒業した時点で、美容学校はまだ1年残っていましたが、学費や家賃、奨学金まですべて自分で払うと決めていました。余裕のない生活になることは分かっていましたが、それを理由に何かを諦めるつもりはありませんでした。
当時の「お金がない」という状況は、自分にとってひとつの基準になっていたと思います。10円、20円を気にする日々や、200円あればなんとかなるという感覚。もちろんそれを誇れるわけでも、美徳だと思っているわけでもありません。ただ、その環境にいたからこそ、見えてきたものがありました。
今は時代が少し変わってきています。無理をしなくてもいい、我慢しなくてもいいという価値観が広がり、働く環境としての基準も整ってきました。特に東京で美容師として働くのであれば、安心して働ける水準を整えることは、経営者として当然の責任だと思っています。

ただ、技術者としての自分を振り返ると、あえて不自由な環境に身を置いたことが成長につながっていたとも感じます。余裕がないからこそ「それでもやるのか」「自分は何を表現したいのか」と何度も自分に問いかけながら進んでいきました。その積み重ねの中で、少しずつ自分の殻が破れ、自分なりの表現が生まれていったのだと思います。
環境に追い込まれた部分もあれば、自分で飛び込んだ部分もあります。ただその過程を通して、人としての輪郭がはっきりしていったのは確かです。そこを通ってきた人間にしか分からない強さがあるのかもしれません。
お金を稼ぐことにフォーカスするのが悪いとは言いません。でも美容師をするのにそれだけを動機にすると、その先が見えなくなる気もしています。一方で、そうした思考の人は仕組み化や体系化に長けていることも多い。自分は表現を深めることに時間を使ってきたからこそ、そこはこれから学ぶべき部分だとも感じています。どちらが正しいということではなく、最終的には両方が必要なのかもしれませんね。
24時間、美容に浸かる

美容学校卒業後、都内のサロンに入社し、2014年にnanuk(ナヌーク)に参加するまでの約4年半をそこで過ごしました。そのサロンでは先輩たちと一緒に、上の世代がつくってきた価値観に対して、「本当にそれが正しいのか」という疑問を少しずつ外に発信し始めたタイミングでもありました。自分たちはメジャーではないけれど、このスタイルでやっている。そうした意思を、作品撮りを通して世に出し始めたのが2012年頃です。
当時主流だったのは、甘さのあるスタイルや、一目で美容師がつくったと分かるような作り込まれたヘア。そうでなければ、クリエイションに近いモードなスタイルです。モードなスタイルもかっこいいとは思いましたが、自分たちの「好き」とは違うとも感じていました。どこかリアルではない感覚があったからです。
そこで自分たちは、「よりリアルな外国人のナチュラル」を突き詰めようと考えました。それが具体的にどんな質感で、どんなカットで成り立っているのかを、昼も夜もひたすら追求していたんです。
サロンワークはかなりハードでした。客単価の高い店ではなかったため回転数が多く、スタッフも少ない中、1日80名ほど来客がある忙しいサロンでした。その中で、何を優先するのか、どこに価値を置くのかを常に考え続けていました。営業後は営業後で先輩の飲み会に全力でついて行っていましたが、そこで話すのも美容のことばかり。休みの日もサーフィンに行きながら、結局は仕事やデザインの話をしていました。
自分の時間が欲しいと思うこともありましたが、そのときは「行かない」という選択肢は持たず、すべてに向き合うと決めていました。気づけば、24時間ずっと美容のことを考え続ける日々。その積み重ねが、自分の軸をつくっていったんだと思います。