びよう道 vol.2 DaB・八木岡聡さん 〜大切なのは、自分しかできないことを探し続けること〜

海外のコピーではなく日本オリジナルの美容をつくりたかった

 

 

日本の美容の歴史は浅いから、自分たちでつくっていける部分もたくさんありました。今でこそ勉強会やモデルハントは当たり前のようにやられていますが、僕がこの仕事を始めたころはなかったんですよ。ちなみに、僕がモデルハントを始めたころは、同じことをする美容師は一人もいなかったから、ブルーオーシャンの世界ですよね。次から次へとモデルさんを連れてくることができたし、紹介が紹介を呼んでどんどん自分のお客さまが増えていきました。

 

やがて、だんだんとSHIMAが大きくなり、店舗と人が増えはじめると技術の共有のために小さな店舗とは違った勉強会が必要になるし、全体のレベルアップを目指すためにはマニュアルも必要になります。19歳のときに、ロサンゼルスに行かせてもらい、そこでヴィダルサスーンで技術を体系的に学んだ経験も大きかったかもしれない。こうして僕は「学ぶ仕組み」を嶋先生と一緒につくってきたのです。

 

また、僕は海外の美容を見た経験があるからこそ、これから日本の美容を自分たちでつくっていくことがおもしろいじゃないかと思っていました。ちょうど同じ時期に、山本耀司さんや川久保玲さんが、海外のファッションを咀嚼して、日本オリジナルのデザインを発表するようになり、大いに刺激を受けていたんです。

僕も日本のカルチャーの中で何かを生み出していかないといけないんだと思って、ヘアショーをつくったり、新しいヘアデザインを提案したりしてきました。83年に僕は「ツーブロック」を考案して、それが美容師さんたちに評価されたこともあります。ただし、新しいものをつくるといっても、まったくのゼロからではありません。外から得た情報を自分なりに解釈して、オリジナリティのあるものに仕上げていくっていう考え方なんです。

 

ヘアやプロダクトだけでなく、仕事も生活もデザインする

 

 

21歳でSHIMA表参道の店長、24歳でSHIMA全店を統括するDirectorになりました。組織全体を見る経験をさせてもらい、退職後はフリーランスのデザイナーとしてパリで活動していました。それまでずっと大勢で仕事をしていたから、フリーはなんて身軽なんだって思いましたね。けれど僕は、おいしいものを食べているとき、誰かと分かち合いたくなる性分。やっぱり、仲間たちと一緒にクリエイトしたいと思って、DaBを立ち上げたんです。

 

DaB、Vitaminsのスタッフは合計で100名以内で、表参道と代官山の2店舗があり、広さもエリアで一番大きな店。クリエイティビティをもったエキスパート集団をつくろうと思ったら、このくらいの規模がちょうどいいんです。大きすぎるとまとまりにくいし、小さすぎると美容師としてのスケールが小さくなる。それに、ヘアデザイナーが一人退職するだけでナーバスになってしまいますから。

 

僕が大切にしているのは、自分がいいと思える自分で生きること。無理をしすぎず、分相応に、自分がいいと思うことをする。お金はあとからついてくればいいという感覚で、自分がいいと思えるように、サロンも自分の人生もデザインしているのです。

 

振り返ると、20代は技術を突き詰めて、30代はヘアデザインを考えて、40代は自分の仕事をデザインしてきました。50代は生活をデザインし、60代はこれまで僕を育ててくれた美容業界に感謝の気持ちもあるから、業界全体をデザインしていきたい。デザインを通じて世の中に価値を提供しながら、自分にしかできないことを見つけていきたいですね。

 

>「スタイリスト」ではなく「デザイナー」を目指そう

 

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