【SNS時代の美容師キャリア論】アシスタント歴1年半、3年間の“美容師ブランク”を経て人気スタイリストへ。山田友紀が語る「技術だけに縛られない働き方の可能性」
SNSが変えた、美容師復帰へのハードル
――再び美容師をやろうと思ったきっかけは?
美容師という仕事から完全に離れていたわけではなく、頭の隅にはありました。アパレルの仕事をしながら、「1日一人でもお客さまを担当できれば、収入は大きく変わるな」と改めて美容師の可能性を実感するようになったんです。SNSを活用すれば、自分次第で集客できる時代になっていたこともあり、「もう一度挑戦してみよう」と思うようになりました。
美容師復帰を決意してからは、動画やSNSを活用しながら独学で技術を磨き、25歳のときに出資者との縁があって、同世代の仲間を集めて自身のサロンをオープンしました。メンバーの多くは同世代の美容師仲間。ゼロからチームをつくり、サロン経営にも携わるなかで、技術だけでなく、集客やブランディング、組織づくりの視点も見えてきました。

――技術面への不安はありませんでしたか?
もちろんありました。でも、今は答えの多くがSNSにある時代です。カット動画を見て、練習して、また見直す。その繰り返しでした。基本的な技術はネット上で十分学べると思っています。
――独学でスタイリストデビューした、ということですね。
そうですね。もちろん簡単ではなかったですし、分からないスタイルが出てきたら営業中に裏で動画を見返すこともありました。でも、分からないことをすぐに調べられる環境があることは大きかったですね。

コロナ禍をチャンスに変えた発想力
――集客はどのように進めたのでしょうか?
友人やインフルエンサーのつながりもありましたし、サロンモデルの予約サービスも活用しました。特に大きかったのはコロナ禍です。多くのサロンが営業を自粛していた時期に、僕はあえて営業を続けました。
リスクはありましたが、逆にお客さまが集中するタイミングでもあったんです。結果的に新規のお客さまが増えて、休みなく働く日々が続きました。

韓国ヘアも「好き」ではなく「戦略」
――現在の韓国ヘアスタイルはどのように確立したのでしょうか?
単純にトレンドだったからです。コロナ禍以降、韓国ヘアの需要が高まると感じて、SNSの発信もそこに寄せていきました。
――韓国カルチャーが好きだったわけではないんですね。
もちろん嫌いではないですが、「流行っているからやる」が一番大きかったです。仕事として考えるなら、需要があるものを提供することは大切だと思っています。競合が少ないタイミングで発信できたことも、集客面でも効果がありました。

――その後、新たなステージとして選んだのがhaoへの参画ですね。
フリーランス型のサロンだったこともあり、それぞれが自分のペースで働くスタイルが基本。自由度が高い反面、教育の仕組みづくりやチームで成果を最大化する難しさを実感したんです。SNSでの発信を通じて集客や売上の成果を出せるようになった一方で、「個人で売れること」と「組織として成長すること」はまったく別のスキルだと感じるようになりました。
自分自身がプレイヤーとして結果を出すことはできても、人を育てたり、組織をつくったりする経験はまだ足りない。次は、教育やマネジメントを本気で学びたいと思うようになりました。そんなタイミングで、以前から親交のあったKENGO(けんご)や西山頌太(にしやましょうた)と「理想のサロンをつくろう」という話になったんです。
そして2024年4月、渋谷にhaoをオープンしました。代表は、KENGO、西山、そして僕の3人。それぞれ異なる強みや得意分野を持ちながら、お互いの個性を尊重し合い、スタッフ一人ひとりが活躍できる環境づくりを目指しています。haoは、単に売上を追いかける場所ではありません。個人の発信力を活かしながらも、チームとして成長し、次世代の美容師を育てていく。その理想を形にするための拠点なんです。
