インターナショナルと癖毛を活かすカーリーヘア 多言語が飛び交うサロンで生まれる、新しいヘアデザインのかたち──MEY HAIR/CURLYS Hiro
突然のアメリカンドリーム!? Hiro、オーナーやらない?

渡米して2年ほど経った頃、香港系アメリカ人のお客さまのエリックと意気投合し、プライベートでもよく遊ぶようになりました。彼の家でゲームをしたり、ご飯に行ったり、そんな関係です。
ある日、彼のアパートで遊んでいて、お腹が空いたので1階に降りたんです。すると、空き店舗に「FOR RENT」の貼り紙が出ていました。中をのぞくと、もともと美容室だった物件でした。するとエリックが「明日ここに連絡して、家賃が安かったら借りようと思う。Hiro、オーナーやらない?資金は出すから」と言うんです。
最初は冗談かと思いました。でも実は彼はカリフォルニアに会社を持つ投資家で、「君の技術も人柄もわかっている。一緒にビジネスをやりたい」と本気で誘ってくれていたんです。
僕はニューヨークに渡る時、3年間で3つのことを叶えると決めていました。「お金を貯める」「英語を話せるようになる」「外国人の髪を切れるようになる」。それは順調に進んでいましたが、「ここにきてアメリカンドリームきた!!」と思いましたね。こんなチャンス2度とないからやるしかないと。

すぐにサロン名を「MEY」に決めました。英語の“me”、中国語の“美(メイ)”、そして日本語の“命”。いくつもの意味が重なるこの言葉に惹かれて、ロゴも制作しました。サロンのコンセプトや仕組みづくり、スタッフの準備、内装や資金計画まで、一気に具体化していきました。
同時に、出資を受けるための手続きを弁護士と進めていたのですが、そこで現実にぶつかります。エリックが日本人である僕にアメリカ国内で出資することは、リスクが大きいという判断でした。いくつかの弁護士事務所を回りましたが、どこでも答えは同じでした…。
エリックも手を尽くしてくれましたが、結果として、この計画は断念することになりました。悔しさはありましたが、彼に大きなリスクを負わせるわけにはいきません。ただ、物件自体はとても良い条件で、ロゴやサロンの設計もすでに整っていたので、このまま全てなしにしてしまうのは勿体無いなという気持ちもありました。
そこで、ちょうど出店を考えていた日本人美容師3人に声をかけてみたんです。場所も準備も揃っていることを伝えると、すぐに興味を持ってくれて、そのまま引き継いでもらうことになりました。

出資の話がなくなった時点で、僕はもう日本に帰るつもりでした。東京にもどってMEY HAIRをオープンするつもりでいたんです。ただ、その3人が「ここまで作ってくれたんだから、一緒にやろうよ」と声をかけてくれて。結局その後、半年間MEY NEW YORKで働くことになりました。
アポなし突撃で掴んだ、アメリカの一流サロンでの経験

実はその頃、もうひとつ大きなチャレンジをしていました。日系ではなく、アメリカ系のサロンで働くことです。どうせ日本に帰るなら、一度は本場の一流サロンを経験しておきたい。そう思って、マンハッタンにある老舗サロンにアポも取らずに突撃しました。レセプションで「ニューヨークで働いている日本人スタイリストなんだけど、ここで働きたいからオーナーに会わせてほしい」と直談判。なんとか話す機会をもらえました。
開口一番「お前カットでいくらとってるんだ?」と聞かれ、85ドルと答えると「うちはJr.で120ドルだ。スタイリストなら180ドルはチャージしてもらわないと。お前今の顧客からそれだけ取れるのか?」と。正直それは無理でした。でも、「お給料はいらないからアシスタントとして働かせてほしい」と食い下がりました。ここで働いて経験値を得たいのだと伝えると、どれだけ働けるか1日見てやるから明日来いと言われました。
翌日サロンに行ってみると、2フロアの広大なサロンに、スタイリストが18名。スタッフは全員アメリカ人で日本人は1人もいません。目が回るほど忙しい現場でしたが、東京の老舗サロン仕込みのスーパーアシスト力を発揮して、働きに働きました。その様子を見ていたオーナーに気に入ってもらい、「俺が金をだすから週3で来い」とそのままアシスタントとして雇ってもらえることになりました。

しばらくして、ジェマというトップスタイリストと昼食のタイミングが重なりました。「君がHiro?よく働くって聞いてるよ。私のアシスタントやる?」と声をかけてもらったんです。
後から知ったのですが、彼女はテイラー・スウィフトをはじめ、多くの著名人を担当するトップスタイリストだったんです。こうして、彼女の専属アシスタントにつくことになりました。
それまで日本人の美容師は器用で技術も上手いし、ホスピタリティもあるし、世界で一番働き者と思っていたのですが。ジェマの仕事ぶりをみて考えが変わりました。彼女はカット250ドル、バレイヤージュで600ドルというトップクラスの料金設定。それでも朝から晩まで、数十人のお客さまを担当していました。自分が朝出勤するとすでに施術をしていて、営業が終わるのは深夜近く。それでも「家でもう一人カットしないと」とハサミを持ち帰る。技術は圧倒的で、人としての魅力もある。2時間待ちで不機嫌だったお客さまも、彼女と顔を合わせた瞬間に笑顔になるんです。

彼女の働き方からも学びがありました。ある時、お客さまが待っているというのに「Hiroランチ食べてないよね」とバックルームでサラダを作り始めたんです。お客さまを待たせているのにどういうこと?と慌てました。するとジェマは「Hiroは体力消耗して働けなくなっていいの? 自分の体を壊したらお客さまを幸せにできない。だから自分がお客さんのハンドルを握らないと。日本人はそこができてないのよ。」と。
そうして、日本ではトップレベルの技術と接客を学び、アメリカではトップの技術とマインドに触れることができました。この両方を経験できたことは、本当に幸運でした。
やるべきことはやり切った。そう思えたタイミングで、日本に帰る決断をしました。日本とアメリカ、両方で学んだすべてを詰め込んだサロンをつくるためです。