ALBUMプロデューサーNOBUの「7つのルール」に迫る! NOBUのタフさはどうやって培われた?【後編】

 

QJナビDAILYの看板連載『NOBU’S KITCHEN』で料理の腕を振るい、さまざまなゲストとトークをしてきたNOBUさん。NOBU’S KITCHENでは、お越しいただいているゲストの方からNOBUさんへの質問を設けているのですが、いつも話題に上がるのが、”NOBUさんのタフさ”。

 

毎日何十人ものお客さまを相手にサロンワークをこなしつつ、ヘアショーやセミナーへも精力的に参加するNOBUさんのタフさは、どんな経験から培われてきたのでしょうか。幼少時代から、美容専門学校時代、アシスタント〜スタイリスト時代、そしてALBUMプロデューサーの現在に至るまで、NOBUさんの歴史を追いながら美容師として大切にしている7つのルールを伺いました。

 

ルール1〜4までお送りした前編に続き、後半はルール5〜7まで、そして若手美容師さんへのメッセージをお送りします。

 

>前編を見る

 


 

目立つことができず、とにかく腹を立てていた若手時代

 

 

NOBUルール-アシスタント〜スタイリスト時代-

集客を店のブランドや会社に頼らない! 自分をウリにする!

 

就職活動では、そんなに苦労はしなかったけど、初めて就職したサロンは誰も俺がいたなんて覚えていないくらいすぐに辞めてしまった。俺は新人だと言うのに、人に命令されるのがめっちゃ嫌いで下積み時代というものに不満しかなかった。

 

先輩が嫌だから、自分が思っていたようにできない・目立てない、環境が嫌だ…etc。 新人美容師さんが「辞めたい」と思うきっかけと同じような理由です。正直、胸を張って言えるような辞め方ではありません。

 

自分より目立っている美容師がいることにとにかく腹が立っていた当時。次に就職した大阪のサロンでは、ルール4の「かっこいいと思う自分」に近づくために周囲が考えもしないような行動を起こした。

 

その頃働いていたサロンは雑誌にもよく出ている有名美容室で、一度雑誌に載ると新規のお客さんが滝の流れのようにドバドバと入る。でも、その新規のお客さんは俺が働いていた系列店舗までは回ってこなかった。

 

だから、俺は人気雑誌に登場している読者モデルに直談判して作品撮りの撮影をさせてもらう。やっていくうちにモデルとも仲良くなるから、そのモデルが登場する雑誌のアパレルのページではヘアメイクとして俺にオファーが来るというわけ。

 

 

ただ、それだけでは店で1番にはなれない。ある日は、企業の受付にアポなしで訪ねて行って「このビルで働いている人の髪を全員担当したいんです。20%オフのチケットを持ってきたので、これを全員に配ってください。『NOBU指名』で予約してくれたら20%オフになりますから」と言ってポケットにじゃらじゃら入れていた10円玉を電話代として置いてきたこともあった。当時は公衆電話だったからね。

 

また違う日にはチラシを作ってその端にちょっとしたお菓子をつけて配ったことも。俺としてはとにかく必死。会社に集客を頼るのは甘えているようで嫌だった。同じように、店の名前をブランドとして利用することもなかった。

そうして指名売上はどんどん伸びていき、店長を超えるまでになりましたが、僕のやり方は会社では受け入れられず、退職することになってしまったんです。

 

破天荒なことを繰り返していた当時だけど、俺のことを面白がってかわいがってくれる先輩がいたのを今でも覚えてる。それが、中森久壽さん(K-two心斎橋・QUEEN’S GARDEN by K-twoスーパーバイザー)。

 

中森さんには、自分の道を曲げない俺に「好きにやればいいんじゃないの」と言ってくれました。それで俺、中森さんの家の電子レンジを爆発させたことがあるんだ!「わかりました、好きにやります」って言って中森さんの家でヘアショーで使うアクセサリーを作っていて、そのアクセを固めるために電子レンジを使っていたらボンッて爆発して、その時は「何やってんねん!」って怒られました(笑)。

 

>NOBUルール6つ目は、大阪時代に最も売れていたころのお話!

 

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