【全身タトゥー×世界平和】異色すぎる美容師、河崎魁仁が掲げる“本気の理想”とは?いじめられた少年が、“見た目で人生を変える側”へ。逃げ道を断ち、人生を賭けた覚悟を体に刻んだ美学
「最初からメンズ一択でした」
――女性ではなく、メンズスタイルをやろうと決めていたんですか?
最初からメンズでしたね。進路を考え始めた高校生になる前の段階くらいから、もう決めていました。「美容師になりたい」というよりも、「男の人の髪をやりたい」という感覚の方が強くて。その延長線上に美容師という職業があった、という感じです。だから最初から女性のヘアをやるつもりはなくて、その前提で美容学校にも進みました。

――原点には、幼少期の経験があるとか?
小学校の頃は、見た目のことで結構いじめられていて。そこから中学で柔道を始めて、環境は一度変わったんですけど、高校進学のタイミングで自分の将来を考えるようになって。
柔道を辞めて髪が伸びてきたとき、坊主から伸びかけた寝グセの感じが、自分の中では「なんかいいな」と思ってたんです。そしたら同級生に「それ、かっこいいやん」って言われて。その一言が、すごく心に残って。ずっと否定されてきた自分の外見が、初めて肯定された瞬間でした。そのときに感じた“あったかさ”みたいなものを、「他の人にも届けられたら」と思ったのが、美容に興味を持ったきっかけです。
高校では友達のヘアセットをよくやっていたんですけど、「それってモデルがかっこいいだけやろ」って言われたことがあって。正直、めちゃくちゃ悔しかったですね。
自分は、昔、太っていたせいでいじめられていたし、もともと“かっこいい側”の人間ではなかったはず。でも、やり方や見せ方次第でいくらでも変われるっていうのを、自分自身で実感してきた。だからこそ、その可能性を証明したかったし、この価値を人に伝えたいと思ったんです。レディースヘアをやらなかった理由も、そこにあります。自分が実感してきたことじゃないと、本当の意味で人には伝えられないと思ったので。

「逃げたくなる自分が嫌だった」——首に刻んだ“決断”
――美容学校卒業後、美容師としてのキャリアが始まりますが、かなり厳しい環境だったそうですね。
梅田からほど近い、落ち着いたエリアにあるサロンでした。オフィス街にも隣接していて、学生の方もいれば、近くで働くサラリーマンの方も来られるような場所で。タトゥーのある人は、周りには一人もいなかったですね。
オープニングスタッフとして新卒で入社したんですが、ルールも技術もかなり厳しくて。朝7時から夜中2時までという生活が続くこともありました。給料も決して高いわけではなかったですし、正直、何度も逃げたくなりました。
でも、その“逃げたくなる自分”が一番嫌だったんです。だから最初のタトゥーを、首に入れました。「決断しろ」という意味の言葉を刻んで。これを入れたら、この仕事以外できなくなる。自分で逃げ道を断つための選択でした。
タトゥーって見た目のイメージが強いと思うんですけど、僕にとっては完全に“生き方”なんです。最初から「入れるなら全部埋める」と決めていましたし、売上が立つようになってからは、そのお金をほとんどタトゥーに使って、月に1〜2回のペースで入れ続けてきました。そうして積み重なった結果が、今の見た目です。

――スタイリストになってからは、売上トップを維持し続けていたとか?
年間売上では負けたことはなかったです。ただ、数字に強く執着していたかというと、そうでもなくて。それよりも、「とにかくかっこいいスタイルを作りたい」という気持ちのほうが強かった。その結果として予約が埋まり、数字がついてきた、という感覚です。
あとは技術の掛け合わせですね。フェード、パーマ、カラーを組み合わせて、自分なりのスタイルをつくっていきました。ハイライトとパーマや、ブリーチとパーマの組み合わせも、比較的早い段階から取り入れていたと思います。

――そして26歳で独立。しかし、もともと独立を目指していたわけではなかったそうですね。
そうなんです。全く考えていませんでした。前の会社には本当に多くのことを学ばせてもらって、成長できた実感もあったので、辞めたいという気持ちはなかったんです。特に、物事をゼロから組み立てていく視点や、仕事をどう捉えるかといった考え方には大きく影響を受けました。
僕自身、特別な人間だとは思っていなくて。努力すれば誰でも辿り着ける領域だと思っているんです。ただ、経験を重ねていく中で、「自分ならこうやりたい」というイメージはどんどん明確になっていく。でも、自分は経営者でない以上、できることには限界がある。そのもどかしさが一番きつかったですね。最終的には、「だったら自分でやるしかない」という結論に行き着いて、独立を決めました。
