型破り美容師・大牧弘昌がたどり着いた、”YOLOサロンオーナー”という答え。逆境と挑戦の軌跡

 

 

ハイライトのスペシャリストとしてその名を轟かせた大牧弘昌(おおまきひろまさ)さんは、28歳の時に上京。大阪から東京へと活躍の場を移し、顧客ゼロからスタート。SNSを駆使しながらフリーランスで活躍の場を広げ、ハイライトカラーの領域で不動の地位を確立しました。その後、地元・大阪での出店計画が、新型コロナのタイミングと重なり白紙に。再び東京での起死回生をかけ、2023年にサロン『YOLO(ヨロ)』を東京・小岩にオープン。また集客コンサルも大人気で、飛ぶ鳥を落とす勢いで進化しています。そんな大牧さんを、東京・上野にあるYOLO2号店で直撃しました。

 


 

大活躍していた大阪を離れ、28歳で上京した理由

 

――すでにスタイリストとして活躍していた大阪を離れ、なぜ上京することにしたのですか?

 

「もっと技術を身につけて活躍したい」という思いが強かったんですよね。業界誌を見ても、取り上げられている美容師はほとんど東京で活躍している人ですよね。なので、一度東京で働きたいと思っていたんです。当時、都内でも群を抜いてSNSが強いサロンがあり、僕はそこに入りたくて。それで社員としてそこに入社したんですが、細かいルールが自分には合わないと思ったので、1週間で辞めてしまいました。

 

 

 

――え? 1週間で退社ですか?

 

ルールに縛られたり、強制されることが苦手なんですよね。元々独立願望はあったので、独立に向けてステップアップしていきたいというイメージは明確に持っていました。だったら、このまま東京でフリーランスとして働こうと思って。勤務日数や時間など関係なく、自由に働く方が自分には向いているんですよ。

 

その後、SNSも活用しながら、独立に向けて発信力を高めていきました。そして、いざ大阪に戻って出店しようと、着々と物件契約を進めていたのが2020年だったんです。緊急事態宣言も発令されて、街中に人がいなくなったときですね。「これは出店するタイミングではないな」と思い直し、出店は白紙に戻しました。

 

 

 

――それは出鼻を挫かれましたね…。そのあと、表参道の人気サロンにフリーランスとして参加したんですよね。

 

バレイヤージュやハイライトなど、デザインカラーで特化しているサロンです。インスタで存在を知って、フリーランスとして籍を置かせてもらうことになりました。フリーランスの働き方は、すごく合ってましたね。僕は自由じゃないと、無理なので(笑)。そのサロンは、正社員もフリーランスも分け隔てなく働ける環境で、みんなが本当に温かく迎え入れてくれて、居心地が良かったです。ちなみにオーナーはバレイヤージュの達人で、めちゃくちゃ働く人。僕もバリバリ働くタイプで深夜3時頃まで練習していたので、「こんなに働く人間、俺以外に見たことない」と言われて。それでオーナーとは仲良くなりました。

 

 

>フリーランスで働きながら『YOLO』を出店。コンサルも開始

 

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