なぜ落合健二は“ハイトーン時代”を先読みできたのか? 原宿で育てた「薬剤のものさし」とデザイン哲学

 

次のステップを見据えての、デザインカラー。

 

――独立に向けて動き始める転機について教えてください。

 

最終的には13年くらい同じ場所にいました。社員として新卒入社したんですが、その後は独立を見据えてフリーランスという形で在籍していました。

 

キャリアを重ねる中で考えたのが、「エクステから離れること」でした。エクステが嫌いになったわけじゃないんですけど、正直かなり大変だった(笑)。施術時間も長いし、独立を考えた時に在庫を抱える問題もある。自分一人でやるとなった時、オペレーション的に難しいなという現実も見えてきました。

 

その中で、「自分の軸として一番面白いのは何だろう」と考えた時、やっぱりカラーだったんです。







“ハイトーン推し” になった理由

 

――ハイトーンに本格的に向かったのは、かなり早いタイミングですよね。

 

当時はまだ、今みたいに“ハイトーン専門”っていうサロンも美容師も、そんなに多くなかったです。でも、自分の中では「これからもっと来るな」という感覚があって。もともとブリーチは好きでしたし、延長線上にはありました。でも、そこからさらに深く知りたくなったんです。「どうしたらもっときれいにブリーチできるか」「ムラなく作れるか」「ダメージを最小限にできるか」。正直、かなりオタク気質だったと思います(笑)。でも、その積み重ねが、今につながっています。

 

ハイトーンで、お客さまの印象そのものを変えられる。鏡を見た瞬間にテンションが上がったり、「自分ってこんな髪も似合うんだ」と新しい自分に出会えたりする。そこにすごく可能性を感じたんです。だから、自然とそっちに熱量が向いていきましたね。

 

人って結局、“自分らしさ”を表現したいんですよね。一昔前はそれがエクステだったかも。だけど時代が変わって、もっと日常になじむ形で個性を出したい人が増えてきた。その答えの一つが、ハイトーンやデザインカラーだった気がします。




 

――SNS発信もかなり早い時期からスタートされました。

 

最初はブログでした。まだInstagramが今ほど主流じゃなかった頃です。でも、自分は「発信しないと始まらない」と思っていて。待っていてもお客さまは来ないし、技術があっても伝わらなかったら意味がない。だから毎日やるって決めていました。

 

やがてブログからInstagramへと発信の手段が変わって、1日1投稿。そのために営業後、夜中1時くらいまで作品撮影をしていましたね。フリーランス時代は特にそうでした。

 

「今日の作品を載せる」っていうのを毎日やっていたので、正直、大変でした。でも、そこで来てくれたお客さまも多かったし、後々、講師活動や海外セミナーにつながっていったんです。だから今振り返ると、“あの時の発信”が人生を変えたんだと思います。




 

>“ハイトーン専門店”ではなく、“デザインで記憶に残る店”を

 

 

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