オープン5年目にゼロからのスタート。正しさのない問いの決断とは? ―10年サロン「KATE」のブランディングストーリー前編

2011年〜2014年 経営快調期

円満退社、それなのに不安を抱えながらのスタート

 

 

『KATE』は2011年5月にオープンしたサロンです。2011年といえば、東日本大震災が起きた年。『KATE』もその影響を受けました。

 

それまで『SHIMA』に15年間勤めていて、2011年3月20日で円満に退社する予定でした。普通なら、美容師は退職の日が近づくとどんどん忙しくなるものですが、震災が発生したことで最終出勤日までの10日間はお客さまがこなくて…。「独立して本当に大丈夫かな?」と不安を抱えながらのスタートでした。

 

独立後も資材が届かず、4月中旬オープン予定だったのが1ヵ月以上後ろ倒しに。当時の自粛ムードもあったので、レセプションも行わず、お花も断って、ひっそりはじめましたね。オープンまではなかなか苦労しました。

 

オープニングスタッフはブランドのコンセプトを体現してくれそうな子を選んだ

 

 

『KATE』は「洗練された都会的な美容室」がテーマ。店名は20歳ごろの僕にとってのミューズ的な存在だったケイト・モスからつけました。わかりやすいし、自分の店を持ちたいと考えたのも20歳のころだったから、初心に返る意味もあります。「フランス語で○○」みたいな意味づけが好きじゃなかったことも理由の一つです(笑)。

 

当時の店舗は、南青山の奥のほうにあるガラス張りの路面店でした。セット面は6席です。新国立競技場のデザイン案で最終審査にも残った建築家・伊東豊雄さんがデザインした建物で、すごくかっこよかったですよ。表参道の駅から徒歩10分ほどと少し遠いですが、『SHIMA』で働いていて顧客もついていたので、場所はどこでもできると考えていました。

 

ただ、とにかく店の場所がわかりづらかった(笑)。当時は今ほどスマホが普及していなくて、道に迷って電話をかけてくる方が少なくありませんでした。電話がかかってくると、切るわけにもいかないから15分近く電話をつないだまま案内をすることに。オープン当初は僕を入れて3人しかスタッフがいなかったので、大きな負担になってしまいましたね。

 

スタッフは全員スタイリストです。1人は『SHIMA』で一緒に働いていた子で、もう1人は昔一緒に働いていて、当時横浜のサロンに勤務していた子。何より重視したのはセンスです。技術は後から教える自信があったので、清潔感やファッションなどを見て、ブランドのコンセプトを体現してくれそうな子に声をかけました。

 

スタッフにお客さまをつけるには、クーポンサイトも必要

 

 

オープンまでは少し難航しましたが、いざ営業がはじまってみると順調でした。営業開始が遅れたぶん、待ってくれていたお客さまが次々にきてくれて、ありがたいことにすごく忙しかったです。

 

最初の忙しさのまま店がうまく軌道に乗り、2014年ごろまでは上り調子でした。スタッフも増やすことができたし、SNSなどに強いスタッフが入ったことで集客も成功しました。

 

集客サイトを使いはじめたのもこのころです。

 

正直、最初はクーポンサイトに抵抗があったんです。僕自身の予約は埋まっていたからそこまで必要性を感じなかったし、そうしたサイトを使わずクールにやりたいという思いもありました。でも、自分以外のスタイリストにもきちんと新規のお客さまをつけてあげるには、クーポンサイトはやっぱり効果的なんですよね。

 

オープン当初は、サロンを自分の城のように考えていたところがあったのだと思います。だけど、続けるうちに経営者として店を守らないといけないという思いが強くなっていきました。そうしてクーポンサイトをはじめましたが、下の子が育つためにも、店の新規集客のためにも、意味があったと思っています。

 

>『KATE』史上もっとも大変だった話し合い

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