沖縄のビーチに現れた移動式ヘアサロン。トレーラーに込めた夢の叶え方とは? 異色のキャリアを経て33歳で理容師に。自然と家族、そして髪。すべてがつながった梶田貴伸の海辺バーバーライフ

 

 

沖縄本島・読谷村(よみたんそん)のビーチに出没する、エアストリームの理容室『3MuraiLife&3Cafe(サムライライフアンドミカフェ)』。運営しているのは、名古屋出身の梶田貴伸(かじたたかのぶ)さんです。20代は異業種で働いていたそうですが、オーストラリアで暮らした期間に大自然に魅せられ、帰国後は「手に職をつけて現地に戻りたい」と、33歳で理容師に転身。そして、いよいよオーストラリアへ…というタイミングで、なぜか「沖縄」に導かれたそうです。家族で沖縄に移住し、今年13年目を迎えた梶田さん。紆余曲折のあったこれまでの道のりと、夢の叶え方について取材しました。

 


 

「まさか、俺がハサミを持つなんて」

 

――梶田さんは30代で理容師に転身するまで、どんな仕事に就いていたんでしょうか。

 

もともと建築家を目指して名古屋の建築事務所で働いていたんですが、そこの働き方が休日返上でハード過ぎて(笑)、そのあとは機械工をしていました。20代後半で結婚し、妻の希望でワーキングホリデーをしようということになって。それでオーストラリアでツアーガイドをしながら、1年間現地で暮らしました。その仕事を通じて大自然の素晴らしさに触れ、「この働き方は最高だな」と。海を見ながら働きたいな、と思ったんです。それで、もう一度お金を貯めてオーストラリアに戻ろうと決意し、帰国しました。

 

 

――お金を貯めるために始めた仕事は、広告代理店の営業マンだったとか?

 

大手の会社で、給料が良かったんですよ。途中で札幌店に異動になり、3年半ほど札幌でも暮らしました。地方の支社立ち上げも任されて、福岡に行ったり、岡山に行ったり。忙しく働いて、移住資金もできました。でも、それをオーストラリアで使って生活したら、いつかなくなってしまうじゃないですか。なので、現地で働けるように手に職をつけたいと思い始めたんです。いろいろ考えて、理容師になろうと。それで、ずっと通っていた大手理容室のオーナーに頼み込んで、修行させてもらうことになりました。

 

――それは思い切りましたね。そのとき、すでに30代だったんですよね。

 

33歳でした。子供も2人いたんですよ。通信で理容師免許を取得できるまで3年かかるので、家族で一旦実家に戻り、僕は理容室で下積みをして、妻はパートを3つ掛け持ちしてくれました。まさか、俺がハサミを持つことになるなんて…という驚きの流れでしたね(笑)。

 

 

 

――ご家族に支えられて、3年後に理容師免許を取得されたわけですね。

 

そうです。しかし念願の渡豪目前だったのに、まさかのビザ問題で断念せざるを得なくなってしまいました。自分は何に向かって今まで走ってきたんだ?と、途方に暮れましたね。心が折れそうになりながらサロンワークを続けていたんですけど、このまま続けていくのも違うな、と思って。そしたらある日、夢に「沖縄」が出てきたんです。沖縄?と思いながら目が覚めたんですけど、沖縄なら子供の教育も日本語圏で問題ないですし、いいかもしれないって。それで沖縄の理容師の求人を検索したら、読谷村の理容室が新店をオープンするという求人を発見して、すぐに電話しました。当時の僕は37歳でしたし、普通なら煙たがられると思うんですよ(笑)。でも、オーナーが受け入れてくれたんです。それで、家族で引っ越しました。当時、子供は幼稚園と小学校低学年でしたね。


 

 

>土地が見つからず、移動式スタイルに

 

 

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