中森明菜・松田聖子!!昭和ヘアはなぜ今の時代にハマるのか? 50年目のベテラン美容師・小野田光伸さんの技と昭和カルチャー

強いシルエット、重厚感のあるボリューム、記憶に残る存在感。昭和のスターたちの髪は、歌や映画と同じくらい、人々の心に焼き付いています。
美遊(びゆう)ヘアスタジオの小野田光伸(おのだみつのぶ)さんは、かつて中森明菜さんや昭和のアイドルたちのヘアを担当し、長年ミスユニバースのヘアを手がけるなど、時代のアイコンと向き合ってきた美容師です。
今、小野田さんのサロンには、国内外のインフルエンサーたちが次々と訪れ、昭和ヘアを体験し、その魅力を発信しています。単なるレトロブームの一言では片づけられないこの現象の背景には、小野田さんのどんな美意識と技術があるのでしょうか。
時代を越えて支持される髪の条件とは何か。昭和の熱を知る小野田さんの美容人生と共に、その本質を伺いました。
昭和の新宿からカリフォルニアへ。“人に届ける仕事”を選んだ原点

―昭和という時代の中で、小野田さんはどのように美容師としてのキャリアをスタートされたのでしょうか?
高校の頃レストランの調理場でバイトをしていたんですよね。それで将来を考えたときに、自分が作ったものを直接お客さまにお渡しできる仕事がいいなと思ったんです。厨房だとお客さまの顔が見えないから。そうしたら、寿司屋か、美容師かなというぐらいの考えで。家族から美容師が向いてるんじゃない?なんて言われて美容師を志しました。
美容学校は山野美容専門学校で、卒業後は新宿の紀伊國屋の隣にあった山野愛子美容室に就職しました。22歳まではそこで働いていましたが、一度海外で美容師をやってみかったのと英語の勉強もしたくて、カリフォルニアに渡りました。当時美容師はニューヨークを目指す人が多かったと思いますけど、僕はカリフォルニアの海辺や街のカルチャーや、空気感が好きで。

―当時アメリカで日本人が美容師をするのは大変だったのでは?
大変といえば大変でしたけど、まあ楽しさの方が優っていましたね。ホテルオータニにあったサロンに所属していましたが、サロンワークは週2、3日。あとはハウスコールっていってお客さまの家に訪問して施術をしていました。当時は普通にそういうのがあって、薬剤や道具を持って呼ばれた家に行くんですよ。そうするとお客さまが5〜6人集まっていて、その人たちにカットやらパーマやらの施術をする。毎日英語を話せるから、言葉もどんどん上達していくし。そんな生活を1年半ほど続けていましたが、毎日楽しかったですね。
―そんな中、日本に戻られたのはなぜでしょうか?
楽しかったし、スポンサーのような人もでてきて、そのままカリフォルニアで美容師としてやっていける状況ではあったんです。でもやっぱり日本で生まれ育っているんですよ。僕は新宿区中落合が地元なんですけど、いつかここに両親と共にビルを建てて、その中に美容室を開くということは決めていたので、その目標に向けて帰国しました。
―帰国後すぐに独立されたのでしょうか?
いや、まずは元の新宿のサロンに戻って店長になりました。その後28歳ぐらいの時に赤坂のホテルに店舗ができまして、そこの店長に。お客さまは海外の方が多かったので、スタッフも全員英語が喋れましたね。最後は銀座総本店の店長を務めて、33歳で独立しました。
独学でトップモデルの現場へ。失敗から覚えた“本番の技術”

―外部のヘアスタイリストの仕事を始めたのはいつ頃ですか?
20歳の頃から外部の仕事もしていました。今はヘアメイクの事務所があってそこにヘアメイクさんがいるでしょう。でも当時、広告やコレクションバック、芸能系のヘアの仕事の多くは、いわゆる有名店の美容師が担っていたんですよ。
ミスインターナショナル世界大会のヘアを担当し始めたのは21歳のときでしたし、パリコレ(日本開催)のコレクションバックは25歳で経験しました。一度ヘアスタイリストの現場に行って気に入られると、次から指名でリクエストが入るんです。それでよく現場の仕事に呼ばれていました。
―ヘアスタイリストの技術はどのように学ばれたのでしょうか?
それはもう独学です、誰かに教えてもらえるような時代でもなかったので。サロンワークと違って写真を撮るならこういう作り方をしないとダメなのか、とか。カメラマンと一緒にいろいろ工夫したりして。

貴重な当時の現場風景
―初めは失敗することもあったのでは?
それはいろいろありますね。初めてファッションショーのヘアを担当したのは、僕がまだ22歳の頃。いきなり日本のトップモデルをやることになったわけですが、彼女たちは28歳から30歳ぐらいの人ばかり。僕よりお姉さんだから、言われ放題でしたね。
ファッションモデルの、あのピタッと面がでるヘアって、難しいんですよ。リハーサルなんかしていると、セットした髪がちょっと浮いてきたりするんです。それをコームで直したらものすごく怒られて。当時は知らなかったんですけど、コームを入れると余計に崩れるから、ローションに浸したコットンで面を撫でて直さなきゃいけないんですよね。あの時は怖かったな。でもそうやって一つずつ覚えながら、ちゃんと次のチャンスももらえる時代でもありました。そこから何度も担当しているとモデルさんたちとも仲良くなって、最終的にはおにぎりをもらったりして、可愛がってもらいましたね。
