インターナショナルと癖毛を活かすカーリーヘア 多言語が飛び交うサロンで生まれる、新しいヘアデザインのかたち──MEY HAIR/CURLYS Hiro

海外からの顧客で日々賑わうサロン表参道のMEY HAIR/CURLYS(メイヘアー カーリーズ)。店内では英語・中国語・日本語が自然に飛び交い、国や文化の違いを越えたコミュニケーションが日常として存在します。そこで生まれるヘアデザインは、トレンドをなぞるものではなく、その人の髪質やバックグラウンドにフィットする“個性としてのスタイル”。
この空間の原点は、オーナーHiro(ヒロ)さんのニューヨークでの経験。日本で磨いた繊細な技術と、ニューヨークで体感した多様性と文化。その両方を掛け合わせた先にたどり着いたのが、MEY HAIR/CURLYSでした。インターナショナルとカーリーヘアという二軸で、今までの美容室にはなかった価値をどう生み出してきたのか。ここにに至るまでの軌跡を辿ります。
雑誌は終わり、SNS集客はまだない。武器なきデビュー

美容師になろうと決めたのは高校生の時でした。僕は福岡の出身で、12年間剣道を続けていました。だから学生時代は頭も坊主で剣道第一。完全に侍ライフを送っていたんです(笑)。将来も大学にいって警察官になるつもりでした。
ただ進路を考える中で、担当してもらっていた美容師さんの「人からありがとうって直接言ってもらえる素敵な仕事だよ」という一言が響いて。そこで美容師になりたいと直感的に思いました。
でもそれまで目指していた方向から大転換して、全く違う道に進むので、生半可なことはできないなと。それで東京にでて、一番うまいサロンに入ろうと決めたんです。
40軒ほどサロン見学に行き、そこで運命を感じるサロンと出会いました。技術やデザインに定評があるサロンということは知っていましたが、入り口のドアを開けた瞬間「ここだ!」と思ったんです。

入社してからは、毎日ひたすら練習の日々。デビューにたどりつくまでは約5年。当時のデザインサロンでは、順調なデビューでした。ただデビュー後は全く順調とはいかず…。
僕がデビューした頃は、ちょうど美容業界の集客手法が大きく変わり始めたタイミングでした。先輩たちは雑誌全盛期に顧客をしっかりつかんでいて、すでに安定した基盤を築いている。一方で、僕がデビューした時には、雑誌から新規のお客さまが来る流れはほとんどなくなっていて、フリー客に入客できる機会も限られていました。かといって、SNSも発展途上で、美容師が集客に活用しているケースもごくわずかでした。

先輩に相談すると、「いいデザインを作れば、お客さまが10人お客さまを呼んでくれる。いいデザインを作ることに注力しろ!」と言われる。それは間違っていないとは思いつつも、ガンガンかっこいいデザインを作る猛者がひしめくサロンで、自分はデビューしたて。その中で勝てるイメージが持てませんでした。
どうにか打破しようと客ハンに行くと、「そんなことをしたらブランドが崩れる」と怒られる。スタイリストになったのに、お客さまはおらず、アシスタント業務をする毎日でした。後輩の「あの人デビューしたのにいつまでアシスタントしてるんだろう?」という視線も痛くて…。ストレスで片耳が聞こえなくなったこともありました。ハイトーンでエッジの効いたデザインを軸にやると決めていたので、ターゲットもが狭いのも辛いところでした。でも美容学生や服飾学生、アパレル関係の方など、感度の高い層に向けて、地道に提案を続けることで少しずつ顧客が増えていき、数年後には副店長を任されるようになりました。
通じない言葉、切れない髪。海を超える覚悟

スタイリストになって3年ほど経った頃、夏休みを使ってニューヨークに行きました。現地で美容師をしている友人に、「1日だけでもサロンで働かせてくれ」とダメ元で連絡したところ、ありがたいことに受け入れてもらえたんです。
サロンはミッドタウンの中心にある日系サロン。働いているのは日本人ですが、お客さまはほとんどが外国人。いきなりカットに入るわけにもいかないので、アシスタントとして現場に立ちました。ただ、英語がまったくできない…。シャンプーの温度ひとつ確認できない自分がいる一方で、隣では自分より若いスタッフが流暢な英語でカウンセリングをして、当たり前のように外国人の髪をカットしている。日本では一流サロンの副店長としてそこそこ実力もついてきているつもりだったのに、海をひとつ越えただけで、自分は何もできない。そう思い知らされた瞬間でした。
もともと美容師として一生やっていく覚悟はありましたし、いずれは独立したいとも考えていました。ただ、自分の中で独立する条件が、「最強になったら」だったんです。最強というのは何かというと、僕の中では、なんでもできる美容師になることでした。
外国人の髪は切れない、英語も喋れない。全然最強じゃないじゃん!と思った瞬間、「ニューヨークで美容師やろう」と心が決まりました。

帰国してすぐ、オーナーに「ニューヨークに行きたいです!」と直談判しました。当然、簡単には受け入れてもらえません。「旅行に行って浮かれてるだけだろ」とめちゃくちゃ怒られました。それでも諦めずに何ヵ月も話し続けて、ようやく本気だと認めてもらえたんです。実際に渡米したのは、それから2年後。30歳のときでした。
最初は英語がまったく話せなかったため、午前は語学学校、午後は日系サロンで働く生活を半年ほど続けました。その後は週に1度学校へ通いながら、それ以外の時間は現場に立つ日々に。アッパーイーストサイドやブルックリン、ウォールストリートなど、エリアも客層も異なるサロンを経験し、時には掛け持ちで働きながら、最終的には5店舗ほどに関わりました。
日本人美容師は技術力も接客力も高いので、サロンに入るチャンス自体は掴みやすいんです。ただし、その中で通用するかどうかは別問題。英語での接客や、多様な髪質に対応するカット、カラー技術を、現場の中で少しずつ磨いていきました。
>突然のアメリカンドリーム!? Hiro、オーナーやらない?