僕を世界一のポジティブ人間に変えたハサミの力を信じている -ニンジン美容師(石田渓太)さん U29次世代美容師-

 

次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長のヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。第51回目は、「かわいいカラーしかつくれない」をウリにしている「ニンジン美容師」こと石田渓太さん。美容師になって3年目の22歳という若さでInstagramのフォロワーは3.4万人の愛され美容師です。期待されて有名サロンに入り、結果も残していたにも関わらず約半年で辞めて、フリーランスに転向したという異色の経歴の持ち主でもあります。その破天荒な生き方のルーツを探りました。結果が出ないと悩んでいる美容師さんに読んでいただきたいインタビューです。

 


 

人生を変える美容師になると決意した瞬間

 

 

僕は群馬県生まれで、ヤンキーがたくさんいる中学校に通っていました。田舎の中学生なので、ヤンキーの先輩の髪型に憧れていたんですよね。子どものころは家で髪を切っていたのですが、中学2年生になる直前に母が通っている美容室に行って髪を切りました。地元のショッピングモールに入っている地域密着型。そこで僕の人生が変わったんです。

 

美容師さんにつくってもらったソフトモヒカンっぽい髪型がものすごく好評で「めっちゃ似合うよ」「すごく印象が変わったね」などと周りからめちゃくちゃ褒められたんですよ。その瞬間から、僕は世界一のポジティブ人間になりました。もともと前向きで目立ちたがりな性格でしたが、どこか突き抜けられないところがあったんです。でも、髪を切ったことがきっかけで、完全に生まれ変わることができました。その頃から僕は髪を切ったことで考え方が変わり、行動が変わり、人生が変わったと考えるようになり、「見た目だけではなく、お客さまの人生を変える美容師になる」と決意しました。

 

高校時代、片道2時間かけてOCEAN TOKYOで髪を切る

 

 

美容師になることは決めていましたが、高校は進学校へ。進学校のほうが、校則がゆるくて、髪型も自由だったからです。先生たちはことあるごとに大学進学を進めてきましたが、卒業後は美容専門学校に行くと決めていました。

 

美容師をするからには全力でやり切りたいと思っていたので、東京で頑張りたいと思っていました。アルバイトでお金を貯めて、休日に原宿まで片道2時間くらいかけて髪を切りに行っていたんですよ。三科光平さんをリスペクトしていたことが、OCEAN TOKYOに行ったきっかけでしたが、担当していただいたのは高木琢也さんと中村トメキチさん。影響力がある二人に髪を切ってもらうことで、自分の視野を広げたいと思っていたからです。

 

 

高校卒業後は山野美容専門学校に入学。決め手は卒業生に尊敬している美容師さんが多いこと。そして、できるだけ学生が多い学校に行って、刺激を受けたいと考えていました。モチベーションの高い人たちが集まっているんじゃないかという期待していましたが、実際は、僕が最もモチベーションが高いんじゃないかと思うことが多々ありました。

 

ワインディングのコンテストに出た時は1年間、ひたすら練習していたので周りからは「ワインディングの人」というイメージが染み付いていたようです。学生主体のオープンキャンパスで来場者300人の前で司会をしたこともありました。そのほか、ヘアショーや他校との交流もリーダーシップをもってやっていましたね。卒業後にすぐ活躍したいと思っていたので、作品撮りもどんどんして、Instagramにアップしていたんですよ。

 

>入社3カ月目にAFLOAT表参道店のアシスタントMVPに…!

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