【AFLOAT業務執行役員・最年少プロデューサー間嶋崇裕】元・国体選手でJNA1級ネイリスト。宮村浩気の専属アシスタント経験で学んだこと

 

高校2年でJNA1級を全国最年少で取得し、すでにネイリストとして指名客も付いていたという間嶋崇裕(ましまたかひろ)さん。幼少時代から続けたアイスホッケーでは、国体にも出場。スポーツとネイルという異色の高校生活を送り、選んだのはヘアメイクの道だったそう。そんな間嶋さんが、なぜ美容師を志すようになったのでしょうか。『AFLOAT』アシスタント歴5年。デビュー2年でプレイヤーからプロデューサーへとキャリアシフトした背景なども含め、初インタビュー。前編では、高校時代からプロデューサーになるまでの道のりを語ります!

 


 

高校卒業後に上京し、専門学校の授業で”宮村浩気”と運命的な出会いを果たす

 

小学生の頃からずっとアイスホッケーをしていて国体にも行ったので、スポーツで大学進学する道もあったんです。でも、僕は美容も好きだったんですよ。5歳上の兄がネイリストをしていた影響もあり、母のすすめを受けて僕も高校1年の夏からネイルスクールに通って、2年の秋にJNA1級の資格を取得しました。勉強はできなかったんですけど、実技が得意で。放課後は夜10〜11時頃までネイルかアイスホッケーという日々を過ごし、3年の夏休みまで毎日そんな生活でした。サロンでは顧客もついていたし、美容の仕事の楽しさもそこで知ったという、変わった高校生だったんです(笑)。

 

進路を考えたときに、兄と二人で男性ネイリストをするというのも、打ち出し的には熱いなと思っていました。ただ、実力でいうと兄の方が平面が上手だったので、一緒にやっても勝てないなという気持ちはありましたね。あとは、高3の夏休みに1ヵ月間ニューヨークでホームステイを経験し、そのときに海外で働くのもいいなと思っていて。メイクにも興味があったので、ヘアメイクを志して東京の専門学校で学ぶことにしました。

 

 

入学して半年後、AFLOAT代表の宮村が講義で来校したんですね。そのときのかっこよさに衝撃を受けて、ヘアメイクから美容師に進路を切り替えたんです。宮村の下でどうしても働きたいと思い続けて、卒業後は『AFLOAT』に入社しました。AFLOATというブランドに興味があって入社を希望したのではなく、宮村に強い興味があったのと、ヘアメイクも海外の仕事もできる会社なので、全部揃ってて最高だなと思ったんですよね(笑)。

 

でも、入社してすぐに宮村に付けてもらえるほど、現実は甘くないわけです。当時は今と違って朝は6時半出社、終電で帰るという生活がずっと続く厳しい時代。それでも宮村に付くことをあきらめませんでした。2年目になるタイミングで、宮村の専属アシスタントが抜けたんですよ。そのとき僕はすでに他のスタイリストに付くことが決まっていたんですけど、勝手に宮村にDMを送って直訴したら、驚いたことに付けることになったんです。

 

 

「情熱」と「戦略」。アシスタント2年目から宮村の専属を4年間勝ち取った

 

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