二十歳の頃、どう過ごしてた? Hank. 堀江昌樹さんの二十歳の頃。
─apishに入ってからのアシスタント時代はいかがでしたか?
入社後は「apishっぽくない」と言われてましたね。関西から出てきたし、今と違って当時はすごく派手な服を着ていたし、それまでのapishには全然いないようなタイプだったんです。ただ、僕自身はそれが逆に売りだと思っていたのであまり気にしていなかったし、練習には学生時代と変わらず真面目に取り組んでいました。

ただ、僕は本当に気が利かないアシスタントで(笑)。空気が読めない、って毎日怒られていたし、本当に今思えばとんでもないアシスタントでしたよ。たとえば、先輩に「タバコ買ってきて」って言われて“たらこ”を買ってきたり、先輩に3万円渡されて「両替してきて」って言われて、全部10円玉に換えてきたりとか…。やばいですよね(笑)。
─それはすごいエピソードですね…!?
当時の先輩に、今でも言われるくらい伝説のエピソードになっています(笑)。もう一つ忘れられないのは、ペンキ事件。
僕は美容学校の頃から絵を描いていたのですが、坂巻さん(apish創始者 故・坂巻哲也さん)はアーティスティックなことが好きな方で、ステージの演出などで絵に関する依頼をいただくことが結構あったんですよ。ある日、「ヘアショーの後ろで絵を描いてほしい」と声をかけていただいて。まだ1年目のアシスタントに任せてもらえるんだと、かなり気合いが入っていたんです。
いざ迎えた当日。リハーサルのときに筆にペンキをつけて振り上げたら、そのペンキがふわ〜っと飛んで、坂巻さんの顔や服にペタペタペタ…ってついて(笑)。坂巻さんは「目が見えない!」って大慌てだし、僕はもう本当に心臓が止まる思いでした。結局、坂巻さんはペンキがついたままの服でヘアショーに出ることになってしまって…。本当、今思えばよくクビにならなかったなあ(苦笑)。

─それでも愛されるのは堀江さんの人柄あってこそですね…! 技術面やレッスンは順調でしたか?
技術に関しては、自分でセンスがいいと思ったことはなかったですが、できないのであれば練習量でカバーすればいいと思っていました。でも、時間の使い方が上手い方だったので、夜も1時間半練習したらパッと切り上げて飲みに行ったり、クラブに行ったりしていました。というのも、僕は地元が滋賀なので、繋がりがゼロの状態から人を集めないといけなかったんですよね。なので、その時間が僕のモデハンだったんです。クラブや居酒屋でオリジナルの名刺を配って、練習モデルを集めたり、人脈作りをしていました。
技術の練習も、ただやるのではなく、常に頭を使ってやることを意識していました。何も考えないで手を動かすのと、「どうしてこうなるんだろう?」って考えながらやるのでは、成長速度が全く違う。ただ、考えながらやれば量は必要ないかと言われると、そんなこともないのが難しいですよね。身体が覚えるまで量を重ねないと質は上がってこないと思うので、その両方を大切にしていました。だからこそ、上手に時間を使うことを意識していたんだと思います。