二十歳の頃、どう過ごしてた? 坂狩トモタカさんの二十歳の頃。
─戻りたくないと感じるほどストイックな毎日を送るモチベーションはどこにありましたか?
あの頃の自分には、「負けたくない」って気持ちしかなかったと思います。今になってみたら「誰に?」って話だし、その相手は結局自分自身でしょ、とも思う。それでも当時は、二十歳そこそこの自分の知っている基準でしか評価できないから、早くスタイリストになるとか、カラーモデルの数とか、そういうわかりやすいところで競っていたんだと思いますね。負けたくないから、唯一持っている時間を将来のために全て投資する。そういう1年目でした。

遊べないしお金もないしきつかったけど、僕の中で、美容師っていうのは自分が『成っていくもの』で、そこにかける時間は無駄じゃないと感じたし、自分の時間の使い方としてはそれが正解だったんですよ。
真面目って言われるけど、自分ではそんな感覚ないです。だって、早くスタイリストになりたいし、もっと上手くなって、素敵な髪を切れるようになりたいわけじゃないですか。お客さまがついたり、今みたいに立場が変わっていろんなことが見えるようになると、もちろん価値観は変わってくるけれども。例えば「技術が上手くなるとはどういうことなのか?」とかね。
でも、当時はがむしゃら。スタイリストになることを目標に、毎日を生きてました。

─それだけ努力されていたなら、デビューも早かったのでは?
ジュニアになったのは2年と10カ月くらいでしたし、デビューも早い方だったと思いますよ。ただ、そこまでに悔しい思いをすることもありました。2年目になって後輩ができても、僕の仕事はシャンプー中心だったりとか。今になって思えば、先輩方にも何か理由があったのかもしれませんが、当時は納得いかないことが多かったですね(笑)。
ただ、それを理由に辞めるのは負けた気がして嫌だったから、結果で見返して、状況を覆せばいいと思っていました。
それもあって、僕は営業前後の時間がめっちゃ楽しかったんですよ。モデルさんをやってる間は自分の舞台ですからね。

─今でも覚えている失敗談はなにかありますか?
ポジティブなのであんまり覚えてないけど、もちろんありますよ。サロンで理不尽を強いられていたので、内々の評価を求めていても自分が損するなと思って、途中から外の世界に意識を向けるようにしたんです。先輩に何を言われようと、お客さまに支持されればいいし、撮影も休みの日にやればいいし、コンテストも勝手に出ればいいって。
それで、属するコミュニティも外に求めるようになっていきました。イベントチームの人と仲良くなって、クラブでアートイベントをやったりして。チームのメンバーには大学生も多くて、やっぱり遊びたい盛りだから飲み会が盛り上がるんですよね。それで、とあるイベントの決起会で朝の7時まで飲んでいたことがあって…(笑)。
さすがにやばいなと、携帯をポケットに入れて寝たのですが全く起きられず。しかも先ほど話したように、いつも一番最初に行って一番最後に帰っていたので、お店の鍵は僕が持っている。オーナーが来るまでに店が開かない!と慌てた先輩たちから電話がかかってきて、それで目が覚めたんでしょうね。電話に出たら「何してんの」って先輩がキレていて、やばいと思って「向かってます、すいません!」って嘘ついて(笑)。着替える時間ももったいないのでその辺にあった洋服を適当に掴んで、オーナーが来る5分前くらいにギリギリで滑り込みました。あれは終わったと思いましたね。