“なにもない”からスタートして10年。gricoが広げた美容師の仕事の幅 −10年サロン「grico」のブランディグストーリー前編

2009年〜2010年 イメージブランディング期

発砲スチロールでマルジェラ風に!? 借金ゼロでの新店オープン

 

 

『grico』は僕が24歳のときに自己資金のみでオープンしました。実は、初めはある会社が僕のお店を出してくれるという話があったんです。それが好条件だったこともあり、当時フリーランスだった僕はお店を出すことを決めました。ところがオープン準備がほとんど整ったタイミングで、「すべてなかったことにしてくれ」と突然メールが届いて…。

 

別の条件が提示されたのですがどうしたって承諾できるようなものではなく、その話は完全になかったものになりました。予定していたお店は出せないし、もう人生終わったと思いましたね。すでにホームページもつくっていたし、お客さまや雑誌社に新店オープンの告知も済ませていましたから。

 

中止するわけにもいかないので急遽今の『grico』の場所を借りて、内装もほとんど何もせずに鏡を1つだけ置き、そのメールが届いた1週間後にオープンにこぎつけました。看板をつくっている時間がなかったので、入り口にはみなさんからいただいたお花を置いて、お客さまの荷物置き場は発泡スチロールをマルジェラ風に配置。本当に急ごしらえのサロンでした。サロンのスペースも、今の4分の1でした。

 

 

どこよりも先駆けてハーフモデルを起用したイメージ戦略

 

 

オープン当初に掲げたコンセプトは「常に時代の一歩先を行くおしゃれを提案し続けているのに、どことも違う遊び心を持ったサロン」。これは今も変わっていません。

 

当時はまだ雑誌が元気だったので、雑誌社に取り上げてもらうためにも「一歩先行くおしゃれ」を提示することは欠かせないと考えました。でもそういったサロンはお客さまに緊張感を与える雰囲気が多いなと思って。『grico』ではお客さまに楽しく過ごしていただきたくて、常に「遊び心」を提案できるサロンであることも目指しました。

 

特徴的だったのは、ホームページのヘアスタイル写真や、雑誌の撮影で、他サロンに先駆けてハーフモデルを起用したことだと思います。

 

 

ホームページのトップ画面にはそんなハーフの女の子たちが憧れるであろう、外国人モデルで撮影したビジュアルを掲載しました。「一歩先行くおしゃれ」をビジュアルで表現していったことで、一般の女の子たちが憧れるハーフの子たちに「gricoからカットモデルをお願いされるとうれしい」と言ってもらえるようになりましたし、雑誌社からも注目してもらえるようになっていきました。

 

雑誌撮影では確信犯的に、「遊び心」をヘアスタイルで表現したこともありました。例えばメンズのヘアスタイル企画では、毛束を3本ありえない感じに立たせて撮影してみたり(笑)。今見ても笑ってしまうスタイルなのですが、それを逆におもしろく思ってもらえたのか次の企画でも撮影をもらえて本当にありがたかったです。

 

そうやって何かをするたびに、他のサロンとのちょっとした違いを見せていきました。そのうち出たかった雑誌から依頼がもらえるようになり、お客さまからの知名度も徐々に上がっていきました。

 

>「家族」への想いからはじまった、美容師の新しい価値づくり

 

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