【太市氏へのオマージュ】かつてのカリスマブームを牽引した表参道のサロン『Side Burn』で紡がれた、知られざる師弟ストーリー。

『サイドバーン』で働きたくて、毎年応募し続けた

 

お客として通い続けながら、「ここで働きたいです」と、太市さんに伝え続けていました。どうしてもあきらめられず、違うサロンで働きながら、毎年履歴書を送って応募していたんです。年1で送っていたので、4回送りました。でも、毎回最終審査で落ちてしまって。最終審査はサロンで実際に2日間働いて、サロンワークで判定されるのです。なぜ落ちるのか分からなくて、太市さんに「何が悪かったんでしょうか?」と聞くと、「お前の色が見えない」と。それでもどうしても入りたかったので、4回目に落ちた時に、深夜に太市さんがサロンにいるという噂を聞いてアポなし訪問したんです。

 

 

突然の訪問にもかかわらず、太市さんは快く僕を招き入れてくれて、話を聞いてくれたんですね。そしたら、「人を惹きつける力がない」と。デザイン力や企画力が見えればいいと言うので、ひたすら考えて、営業後に渋谷で1カ月間100人に声をかけて髪を切り、『before after(ビフォーアフター)』というブックを作りました。そこに、人を集める力とかデザイン力など全部表現できると思ったからです。面接の時期ではなかったんですけど、太市さんが特別に見てくれるというので、それを提出しました。そしたら、最終審査のサロンワークでまた「ゼロ点」と言われたんですよ。自分の中ではやり切った感があったので、もう仕方がないと思いましたね。

 

 

すると最後の最後に、「お前は何ができる?」と聞かれて。「僕は何もないので、続けることしかできません」と言ったら、それが太市さんの心に引っかかったみたいで。僕が4年間、粘り強く入社試験を受け続けたこと、その間にいろいろ考え続けたことが説得力になりました。遂にサイドバーンに入れる!と思うじゃないですか。でも、そのときお店自体が新卒を採用することが決まっていて、中途を採用するムードじゃなかったんです(笑)。さすがに、もうあきらめて今のお店でやっていこうと。それで気持ちを切り替えて働いていたんですけど、その半年後、深夜に突然電話がかかってきたんです。それが、太市さんでした。「俺が投資するから入ってこい」と。それで、入社できたんです。

 

あとから知ったんですけど、太市さんは基本的に応募者全員を一回落としていたらしくて。そこから這い上がってくるか、根性を見たかったんだと思います。ただ、こんなに落ちてしつこくアプローチしたのは、歴代で僕だけです(笑)。

 

>その人を想って切るのが、サイドバーンのスタイル

 

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