店のコピーは昭和のエロ本から着想? マニアなサロンが19年間支持されてきたワケ ―「夢屋」夢夢子さん

 

大阪・東心斎橋にひっそり佇む、サイケデリックでエロティックなヘアサロン「夢屋」。ホームページのトップには「モダーンでハレーンチなナイスヘアーはおまかせ!」と書かれています。ニッチなジャンルに特化したサロンですが、どうしてこのようなサロンをオープンしたのでしょうか。しかも19年間ずっと1人営業って、どうして? 今回はオーナースタイリストの夢子さんに、大好きな世界観の中で美容師を続ける幸せと、サロンのこれまで&これからについて伺います。

 


 

夢多き子ども時代から、「夢屋」にたどり着くまで

 

 

私は幼いころからなりたい職業がたくさんある子どもでした。美容師に興味を持ったのは、中学生のとき。地元に若い人が経営するサロンができたんです。それまでは「街のパーマ屋さん」みたいな店しかなかったので、「おしゃれだな〜」と思って。ファッションスタイリストにも憧れていましたが、どうやってなったらいいのかわからなかったんです。しかし、美容師なら資格を取ればなれるものだと、より具体的に職業として意識できたのが美容師の道へ進んだ理由のひとつです。

 

一方で1960〜70年代カルチャーにハマったのは高校生のとき。お金もない中で「他人とは違うファッションがしたい」と思い、アメ村の古着屋さんに通うようになりました。特に好きだった店は「FREAK SCENE」。ファッションだけでなく、映画ポスターや写真、音楽などのカルチャーも詰まった世界観に、すっかり魅了されてしまいました。今のように毎日このテイストの服装をしていたわけではなかったのですが、若いなりにさまざまな格好を楽しんでいました。

 

専門学校を卒業してからは、いくつかのサロンで働きました。最初に入ったのは、夜のお姉さま向けのセット専門店。3ヵ月ほど働いたのですが、私はカットが好きだったので、カットのできる7〜8人規模の個人オーナーのサロンへ転職したんです。そこで数年間働き、スタイリストデビューもしました。その後はアメ村にある、スタイリストが1人だけのサロンに転職しました。そこのオーナースタイリストがとてもユニークな人で、自分のやりたいスタイルで、お客さまと1対1でも経営していけるんだな、と知るきっかけになりました。

 

 

さて、そこから自分の店を持つ…と言いたいところですが、実は半年ほど美容師を辞めたんです。若かったこともあって「もっと自由な時間がほしい!」と思い、美容とはまったく関係のない、スーパー銭湯の番台のバイトをしていました。けど、半年で自由に飽きてしまって(笑)。開店資金も貯まったし、自分のサロンを開こう! と相成りました。

 

そのころにはもう自分の趣味嗜好も固まっていましたし、誰にも邪魔されない私のお城ですから、好きなようにデザインして2000年に「夢屋」をオープンさせました。お店のキャッチフレーズは「猛女のカット、魅惑のパーマ、ダイナミックなヘアカラーはヘア・サロン夢屋で」。これは収集していた昭和のエロ本から言葉のインスピレーションを受けて付けました。

 

>こだわりは、忠実なフォルム。60〜70年代カルチャーの突き詰めたスタイルを作りとは?

 

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