24人中下から2番目の落ちこぼれを、ACQUA総店長まで引き上げたコトダマたち熊谷安史さん 

 

第一線で活躍する美容師の人生を変えた「恩師の言葉」を紹介する「美容師のコトダマ」シリーズ。今回はACQUA総店長の熊谷安史(クマガイヤスシ)さんの心を動かした言葉を探りました。今でこそACQUAの代表格となった熊谷さんですが、アシスタント時代はあまりパッとせず、スタイリストデビューも前途多難な船出だったそう。今、伸び悩んでいる美容師さんに読んでいただきたいインタビューです。

 


 

「美容師をやるなら東京でやったほうがいいよ」

 

 

僕が生まれ育ったのは福井県で、冬はまさに雪国です。田舎はどこもそうかもしれませんが、少し閉鎖的なところがあり、地元で一生を送ることを良しとするような環境で、両親も僕に対していずれは地元で公務員として働いてほしいと考えていたようです。

 

そのような中、僕が東京で美容師をするきっかけをくれたのは、地元の美容室のオーナーでした。たしかあれは、中学2年の夏頃だったと思うのですが、美容師をやりたいと軽いノリで言ったら、「やっちゃえ!やっちゃえ!」と明るく応援してくれたんです。後からオーナーにこの時のことを聞いたら「こんな大変なところに飛び込むなんてバカだな」と思っていたらしいですんですけれど(笑)。

 

 

中学3年の修学旅行の行き先が東京でした。旅行中は集団行動が基本です。でも、僕は当時カリスマサロンとして有名だったACQUA青山店に行くことを決めていたので、「ちょっと用事があるから、あとで集合しよう」とグループを抜けてしまいました。サロンの中を間近で覗く勇気がなかったので、道路を挟んだところに立ち、カリスマ美容師たちの様子を眺めていたことを思い出します。そのせいで集合場所に戻った時に、友達や先生にめちゃくちゃ叱られましたけれど。でもあの時、「こんな場所で美容師ができたらかっこいいな」と思ったことが、今僕がここにいる大きなきっかけになっています。

 

 

カリスマ美容師への憧れが強まる中、高校で進路を決めるタイミングで、地元の美容室オーナーに「やるなら東京でやってみるといいよ」と言われました。多分、それも本気で言っているわけではなく、その場のノリで出てきた言葉だったと思うんですよね。ただその言葉は、田舎のまっすぐな少年だった自分に突き刺さりました。それからはもう、親に反対されても意地になって上京した感じです。地元の美容専門学校に進学したら、親の圧力を受けて地元で働くことになると思ったので、東京の学校に行くと決めました。全てはACQUAに入るための選択です。

 

当時は有名美容室がガンガンマスメディアに取り上げられていたこともあり、ACQUAをはじめとする有名美容室には特別感があったんですよね。だから、実際に内定が決まったときは、言い表せないような高揚感がありました。入社後はもちろん大変なこともありましたが、そんなときは、自分が東京に行くと決めたときの「ワクワク感」を思い出していましたね。

 

 

「何があっても大丈夫。腐るなよ」

 

 

アシスタント時代ちょっとぐうたらやっていた時期もあり、24人いた同期の中でデビューのタイミングが下から2番目だったんです。かなり落ちこぼれですよね。飲みに行くのが好きで、練習に身が入らないこともあったし、上のスタイリストたちからも「こいつは多分、モノにならないな」と思われていたと思います。

 

そんな自分を変えるきっかけになったのは、東日本大震災です。被災後で混乱している3月16日にデビューすることが決まっていたんですよ。デビュー初月は人生に1回だけ。みんな「初月に100万円行きました」「自分は200万円行きました」みたいに、競い合っていたんです。もちろん僕もデビュー前に、売上が上がるように仕込んでいたのですが、震災の影響で予約は全てキャンセル。しかも、当時は電力消費を抑えるために計画停電をしていて、万全の営業態勢ではありませんでした。デビュー初日、2日目、3日目も売上ゼロ。どんな理由があるにしろ、初月売上がゼロになったら、自分の歴史に刻み込まれる汚点になってしまうと思ったんです。

 

それだけは避けたいということで、お客さまが見つかるまで帰らないと決めて、夜中の2時半くらいまで渋谷センター街でハントをしました。そうして、なんとか話を聞いてくれたのが、完全にお酒を飲み過ぎのお姉さん。聞けば、地方から遊びにきており、ホテルに泊まるとのこと。連絡先を交換してもらい、「いいよ、明日サロンにいくよ。朝、モーニングコールして~。」という感じで約束してくれたんですが、「明日になったら絶対に忘れているだろうな」と思っていました。次の日、モーニングコールをしたんですが、なかなか出てくれません。鬼電してようやく捕まり、サロンまで出向いてくれました。その方が僕の初めてのお客さまになったんです。酔っ払いのお姉さんから、僕の女神さまに変わりました。

 

 

初月売上ゼロは免れましたが、スタイリストデビュー月に震災がきて、自分はどんな星の下に生まれた男なんだと思っていました。そんな波瀾のスタートを切った僕を支えてくれたのが当時の上司です。すごく男気のある女性店長でした。

 

「あんたはそのままのペースでいけば絶対に大丈夫だから。何があっても絶対に腐るなよ」という言葉を、耳にタコができるくらい聞かされました。その言葉が次第に自分の中に染み込んでいったんですよね。植物も根っこが腐ったら、花を咲かせなくなります。でも腐らなければ芽が出る。「芽が出るのが遅いだけなんだよ」という言葉を、毎日店長にかけてもらいました。

 

東北地方出身の店長は、震災後はしばらく家族と連絡取れなかったらしいです。そんな状態なのに、僕のことを気にかけてくれていたことを後から知りました。「デビュー初月なのになんで俺だけが…」と思っていたけれど、ほかにも苦しい人がそばにいたのに、自分はちっともわかっていなかった。ともあれ、僕は店長の言葉のおかげもあり、腐らずにすみました。だから今、自分はこのポジションで美容師を続けられているのかなと思います。

 

>「クマ、覚えておいて。セミナーも撮影もサロンワークも全て1本の線で繋がっているから

 

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