ZACC高橋 和義さんのびよう道 努力なくして成長なし。成長なくして成功なし。これがいつの時代も変わらない真理。

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代。もちろんそれも大切ですが、美容人生のどこかで“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

今回は、カリスマ美容師であり、美容室経営者であり、ヘアメイクとして数多くのタレントから信頼を集める高橋 和義(たかはし かずよし)さん。意外にも高橋さんの「びよう道」は、決して一本道ではなかったのだとか。トレンドヘアはつくれるけれど、なかなか突き抜けられないとモヤモヤしている美容師さんに読んでいただきたいインタビューです。

 


 

大学の法学部在学中にヘアメイクという職業を知り、人生が変わる

 

 

美容師になる前は大学の法学部で学んでいました。あるとき、モデルをしていた姉のヘアメイクさんが自宅に来たことがあったんです。その様子を見て「こういう世界もあるんだなぁ」と関心を持ちました。

 

大学で目標を見つけることができなかったこともあり、それからヘアメイクという仕事がずっと頭の中にありました。大学の試験前、無性に髪を切りたくなることあるじゃないですか。近所の美容室に髪を切りに行き、ヘアメイクに興味があることを伝えたんです。すると、「まずヘアサロンに勤めるのが近道じゃないですか?」と言われたんですね。それがきっかけで、そのサロンの面接を受けて美容師になったんです。働きながら通信教育で資格を取ることにしました。親に相談したら反対されることはわかっていたので、もちろんスタートは内緒です。

 

 

ただやはり理想と現実は違いました。元大学生だった僕は、全く美容の知識がなかったから、1年くらいでヘアメイクの仕事ができるものだと思っていたんですよ。床を掃く、タオルを洗うというような下積み仕事のイメージが全くなかった。ギャップはありましたけれど、目標はあったので腐ることはありませんでした。

 

最初の頃は独学でヘアメイクを学んでいましたが、それでは限界があります。何が良くて何が悪いのか判断することが難しかったんですね。そのため、姉の知人のヘアメイクやプロのモデルさんからも教えてもらいました。ただやはり簡単には上手くならないので、スクールに通ってメイクを勉強することにしたんです。

 

お客さまの紹介で地道でヘアメイクの仕事を増やした

 

 

独立までの5年半は、かなり濃密な時間でした。美容師とヘアメイクをやりながら、コンテストにも出たし、ヨーロッパに短期留学に行ったこともあります。さらに後輩の育成、店舗運営もしていました。店舗をまとめる立場になっていたんです。そこから独立した理由は、ヘアメイクの仕事を増やすため。吉祥寺のサロンで働いていたので、ヘアメイクの需要はそれほど多くありませんでした。

 

ちなみに、最初の頃に切らせてもらったお客さまとは今も親交があります。テレビ番組のプロデューサーで、今は芸能事務所で講師をしています。そのご縁から、テレビ関係の仕事もさせてもらいました。ほかにもバックミュージシャンの方のつながりから音楽関係の人のヘアメイクに行ったりなど、お客さまからのつながりで仕事を増やしていきました。

 

 

独立後の理想は、サロンワークとヘアメイクを半々のバランスでやること。しかしながら、いざ借金を抱えて独立してみると、売上をつくれるサロンにしなくてはならないというプレッシャーが大きかったです。というのも、両親の家を担保に入れて3000万円借り入れていたんですよ。

その3000万円も、内装費用や運転費用で目減りしていきます。カットに自信がありましたが、どこのヘアサロンもカットが上手いのは当たり前です。

 

>3000万円の借金の重圧が、ケミカルに強いサロンを生んだ

 

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