びよう道 vol.6 U-REALM会長 高木裕介さん 〜みんなが修業に没頭できる環境を、僕たちが創っていくべきなんだ〜

 

美容室でも待遇や休日が大切と言われる時代ですが、美容人生のどこかでは“心も体も美容でいっぱい”という時期があってもよいかもしれません。

 

「びよう道(みち)」は、そんな地道で壮大な鍛錬の道を歩んできた“美容の哲人”に、修業時代に一人前になったと思った瞬間や美容の哲学など、それぞれの美容の道を語っていただく連載企画です。

 

第6回目は、U-REALM会長 高木 裕介さんに、貧乏アシスタントから売れっ子スタイリストへ成り上がる過程や、「修業」に関して美容業界に発信したい言葉をうかがいました。若手美容師はもちろん、オーナーのみなさんにも読んでいただきたいインタビューです。

 


 

築70年以上のボロ家から抜け出したかった

 

 

アシスタント時代は手取りで9万円程度。そこからウィッグ代を出したりしていたので、本当にお金がありませんでした。当時住んでいたのは、家賃2万5000円、築70年以上のボロ家。もちろん風呂はないし、トイレも共同。「早くスタイリストデビューして、稼いでここから出たい」と本気で願っていました。とにかく必死だったので、周りからは「なんかギラギラしたやつ」って思われていたかもしれません。

 

そして、22歳のときにAFLOATでスタイリストデビュー。4カ月目に月売上130万円、次の月に280万円、そして1年後に500万円を達成。美容師として1人前になれたかなと思ったのはそのころですね。

 

どうしてそれだけの売上をつくることができたのか。実はアシスタント時代から、スタイリスト以上に働いていたからなんですよね。美容師になったばかりのころの僕は、仕事が終わったあと渋谷で遊んでいたんです。チームみたいなものをつくって集まっていたのですが、そこにいたメンバーがモデルになったり、社長になったりと活躍していたので、仕事につながることが結構あったんですよ。

 

 

遊び仲間の一人に、タレントの優香さんがいました。彼女にはカットモデルをしてもらっていましたが、当時はそんなに有名ではなかったんですよ。それが瞬く間にブレイクし、CMの女王になったりして、その流れで「優香さんの髪を切っている人に切ってほしい」という問い合わせがたくさんサロンに届いたんです。それから、営業後の時間に、問い合わせしてきたモデルさんのカットをさせてもらうことに。最初は1日に1人くらいだったんですが、最終的には4人切っていましたね。

 

アシスタントを使うことはできないので、カウンセリングとシャンプー、カット、カラー、パーマなど全部、僕一人でやっていました。当然、モデルさんが重なることもありましたから、お待たせしないように、あっちへこっちへと忙しく動き回っていましたね。めちゃくちゃ忙しかったけれど、その経験があったからデビュー後にどんなに忙しくても動じなかったんですよ。

 

>天才肌のカリスマのカットをマニュアル化

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