NYの超高級ヘアサロンで売上1位! 予約700人待ちの美容師CocoOmoriの負けない心の持ち方

クビ、いじめ…。逆境を乗り越えてセレブ御用達の美容室で売上No.1に

 

 

しばらくしてニューヨークファッションウィークを手がけている路面店のサロンへ就職しました。毎日ファッション誌を見ているような風景を目にする高級サロンとは、価格帯もお客さまの層もまったく違うサロン。路面店と高級店との違いをヒシヒシと感じていました。

 

あるとき、美しいものを求めてバレエを観に行くと、その舞台上で、かつて私がヘアスタイリングを担当していたバレリーナが主人公で踊っていたんです。それを観たとき、「もっと美しいものに触れたい。向上しないところで過ごしている場合ではない」と感じました。私がNYへきたのはうまくなるためだということを思い出したんです。

 

路面店は2ヵ月で辞め、NYで一番厳しい高級ヘアサロン「Julien Farel (ジュルアン ファレル)」へ。試験には私の好きだったブローのテストがあったこともあり、就職が決まりました。就職が決まった後、オーナーに給料やポジションを交渉し、4人のヘアカットテストをクリアして、スタイリスト兼アシスタントとして働くことになりました。前代未聞のポジションだったので、ジェラシーも多く「英語もあまり喋れないのに、なんでスタイリストなんだ」「日本人でしかも入ったばかりの小娘が」など、他のスタッフからはいろいろなことを言われました。

 

絶対結果を出して見返してやろうと、自分のお客さまをどんどん増やしていきました。私の強みは、やはりブローです。パーティーやイベントのためにブローのみでこられた方に「私の技術が世界一」と思わせるくらいの勢いでいつも挑んでいました。

 

ニューヨークで撮影の仕事をされているときの様子。

 

さらに、オーナーが私のブローを気に入ってくださって、一番の出世コースであるオーナー直属のアシスタントにならないかと言ってくれたんです。オーナーのアシスタントとして働くのは、かなり緊張しました。カット代10万円のオーナーのもとにくるお客さまを納得させるような技術やサービスを提供しなくてはいけないからです。

 

オーナーからは「私たちは一流の飛行機のファーストクラスをいつも売っている。だから常に何でもパーフェクトじゃないといけない」と言われていました。塵一つ落ちていてはいけませんし、入った瞬間の香りから、出る瞬間までの経験すべてが10万円相当でないといけないのです。あの緊張感は最初に働いたNYの高級サロンとはまったく違いました。10万円のヘアカットをするオーナーの顧客たちは、すべてマイブラシやシャンプーを持参、座席指定をされるようなセレブの方ばかり。そんな方たちの髪を任せてもらえたのは、NYの高級サロンでの経験と中途入社した福岡のサロンで、縮毛矯正にこられたお客さまに毎日ブローをしていたためだとも思います。

 

そして、オーナーのメインアシスタント1年間勤めたころ、指名が多くなってきたこともありスタイリスト専任に。妊娠するまでの2年間は、5番街店で売上ナンバーワンを2年連続でとりました。

 

NYでキャリアを積み、出産を経て出した答え

 

Julien Farelでサロンワークをしていたときの大森さん。左はオーナーのジュリアンファレル氏。

 

私は、NYでの仕事が本当に楽しかったので、結婚して、妊娠、出産しても、NYで働きたいと思っていました。また、休んでしまって美的感覚が失われていくのが怖かったので、妊娠がわかって産休をとることになったときも、できるだけ早く復帰しようと考えていました。

 

出産予定日の2週間前まで予約でいっぱいな状態で、「あと1日頑張れば産休」というときに、まさかの破水。陣痛がきていたのですが、マネージャーやお客さまに電話して事情を説明すると、「いいから。あなたが妊娠しているのはわかってるから!」と言っていただきました。帝王切開になったのですが、先生に「帝王切開になったら困る! もう2週間後に予約入っているんで!」って言っていたようで、今考えるとクレイジーですよね(笑)。結局、産後3週間で職場に復帰しました。しかし、その1年後に日本に帰ることを決めました。

 

実は、息子が生まれてから4ヵ月後に私の弟の結婚式があり、日本に帰国したのですが、そのとき夫から「もうこのまま赤ちゃんと一緒に帰らない?」って、言われたんです。妊娠中から彼は日本に帰りたいと言っていて、そのときがストレスのピークだったんだと思います。けれど、急に言われても私には仕事もあるし、お客さまも待っています。ベビーシッターも雇っていない状況だったので、「ベビーシッターを早急に見つけるから、その後だったらいつでも日本に帰っていい」と言いました。ベビーシッターを見つけたあと、夫だけ日本に帰国してもらったんですが、「ひとまず、先に帰ってもらうけど、そのうち理解してもらえるんじゃないか」と考えていました。

 

夫が日本へ帰国したため、仕事中はベビーシッターに子どもを見てもらう生活に。夫から電話で「半分NYで続けて、半分日本で育てたら」と提案されたとき、「今まで私のことをたくさん支えてくれたのに」と思う自分と、「私がここまでくるのにどれだけ努力したと思っているの。私は帰らない」って思っている自分がいました。

 

3ヵ月ほどベビーシッターとの二人三脚の生活を続けたのですが、夫の考えは変わらず、NYへ戻ってはきませんでした。私自身も子どもを育てる中で、「こうやって私が仕事して、ベビーシッターと二人三脚でやって、この子は家族の愛情を感じられるんだろうか」と思いはじめました。少しずつ日本に帰ろうかなという気持ちが芽生えてきたんです。そして、「お客さまには美容師の代わりがいるかもしれないけど、この子の母親は私しかいない」と思うようになり、子どもが1歳のころ日本に帰ることを決めました。

 

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