行き詰まったら、まず『諦める』。そして積み重ねた時間が、一人前の美容師をつくる。 LONESS 片山良平のびよう道
目の前にあるミッションをクリアするアシスタント時代

約1年間のイギリス生活を経て帰国した僕は、もともと考えていた通り東京へ出ました。ただ、その時点では働くサロンも決まっておらず、いわゆる見切り発車での上京でした(笑)。
そんな中で出会ったのがNORAです。当時は、すでに高い知名度を持ち、デザインの方向性が完成されているサロンよりも、これから一緒につくり上げていける環境に魅力を感じていました。できたばかりのサロンを探していたところ、ご縁がつながり、NORAのオープニングスタッフとして入社することになったんです。
アシスタント時代は、22時頃まで営業をして、その後は朝4時頃まで練習する毎日でした。デビューも同期と比べると早い方だったと思います。ただ、僕自身は「誰よりも早くデビューしたい」と考えていたわけではありません。どちらかというと、目の前にある課題やミッションを早くクリアしたいという感覚でした。学生時代のテストに近いかもしれません。「できないことを、早くできるようになりたい」という気持ちが強かったんです。

例えばパーマであれば、薬剤を塗布できるようになった時点で、巻く工程以外はほとんど自分が担当することになります。そう考えると、「もうほぼ自分が仕上げているじゃないか」と思えて(笑)。できる技術が増えるたびに任せてもらえることも増えますし、自分の成長を実感できる。その感覚が純粋に嬉しかったんです。もともと好奇心も強かったので、新しいことを覚えること自体が楽しくて仕方ありませんでしたね。
同期は全員年上でしたが、関係性はとても良かったです。20歳前後の頃って、2〜3歳違うだけでも随分大人に見えるじゃないですか。でも、入社したときに社長が「君たちは同期だから」とひとまとめにしてくれたおかげで、年齢を気にすることなく何でも言い合える関係を築くことができました。
そんな仲間たちにも恵まれていたので、どれだけハードなアシスタント生活でも、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。そもそも自分がやりたくて選んだ道でしたし、練習そのものが好きだったので、休日に練習することも全く苦ではなかったんです。むしろ休みの日まで練習しようとして、店長から「ちゃんと休め」と怒られるくらいでした(笑)。

とにかく上手くなりたかった。誰かと比べるというより、自分なりの基準やこだわりがあって、それを一つひとつクリアしていくことが楽しかったんです。今はSNSや動画を通じて、他のサロンの情報やさまざまな価値観に簡単に触れられる時代ですよね。良くも悪くも、たくさんの情報が飛び交っています。
でも、当時はそういう環境ではありません。だからこそ、サロンのカリキュラムを信じて、目の前の課題にひたすら向き合うだけ。そのシンプルな環境が、結果的には遠回りをせず成長できた理由だったのかもしれません。技術が身についたときの喜びを知っているからこそ、もっと上手くなりたい。その気持ちだけを原動力に、毎日美容と向き合っていましたね。
お客さまのいない時期をどう乗り越えたか

スタイリストデビューまでは比較的順調でしたが、その後の1年ほどは苦しい時期でした。アシスタント時代に来てくれていたモデルさんたちも、デビューして施術料金が上がると、それまでのようには来てくれなくなってしまったんです。
僕は12月にデビューしたのですが、サロンからは「外に出てお客さまを探してきなさい」と背中を押してもらっていました。ただ、年末の繁忙期で店内は忙しく、先輩たちやアシスタントたちが慌ただしく働いている。そんな中で、自分だけがお客さまを探しに外へ出ていることに、どこか後ろめたさを感じていました。結果として、デビュー初月はサロンが目標としていた売上にも届かず。「うわーっ……」と思っていたときに、社長からかけられた言葉を今でも覚えています。「1年で100万円、2年で200万円、3年で300万円。順調に積み上げていければ大丈夫だから」。その言葉を聞いて、目先の結果に一喜一憂するのではなく、「3年目に売上300万円を達成する」という長期的な目標を持つことにしました。当時の集客手段といえば、街頭での客ハンか、お客さまからのご紹介が中心です。客ハンに出るときは、「今日は絶対にお客さまを連れて帰る」という気持ちで街に立ちましたし、リピートやご紹介につなげるために、手作りのハガキを作って送ることもしていました。
派手な方法ではありませんが、できることを一つずつ積み重ねていった結果、少しずつお客さまが増え、目標としていた売上にも到達することができました。

雑誌の撮影を始めたことも大きかったかもしれません。もともとは雑誌に出て有名になりたいという思いから東京に出てきたのですが、当時のNORAは撮影をあまりやっていなくて。それを社長に話したら、編集部は紹介するから、自分で売り込みに行けと。それで1年かけてフォトブックをつくり、いろいろな雑誌の編集部に持ち込みを始めた結果、幅広い雑誌に取り上げていただけるようになりました。お客さまが増えたことももちろんですが、さまざまなジャンルの雑誌撮影をこなしたことで、スタイルの幅が広がっていったことが自分の中では大きかったですね。スタイルの方向性が定まっているサロンであれば、ここまで数多くの撮影を引き受けることはできなかったかもしれないです。雑誌によってモデルさんの雰囲気を変えたり、ヘアの質感を変えたりと試行錯誤しながら対応し、5本の撮影をこなす日も。それが23〜4歳の頃だったのですが、そこで自分の今の土台が固まってきたように思います。

その後は、サロンの成長とともにディレクターなどの役職も経験させていただき、30歳のときに独立しました。独立を決意した一番の理由は、「これから美容師としてどうありたいのか」「どんなサロンをつくっていきたいのか」という自分なりのビジョンが明確になったからです。オープンにあたっては、貯金をすべて使い、表参道に約5,500万円を投じてサロンをつくりました。当然、貯金はゼロです。30歳にして(笑)。
それでも迷いはありませんでした。僕が何より大切にしたかったのは、スタッフにとっても、お客さまにとっても居心地の良い空間をつくることだったからです。特にお客さまは、貴重な休日や限られた時間を使ってサロンに足を運んでくださいます。だからこそ、ただ髪を切る場所ではなく、心からリラックスできる場所であってほしかったんです。
もちろん、当時は大きな投資でした。でも今振り返ると、あのとき思い切ってお金をかけて良かったと思っています。サロンをオープンして10年が経った今でも、内装は古びるどころか、時間とともに味わいが増している。空間づくりに妥協しなかったことは、間違いなく今につながっていると感じていますね。