やりがいはサロンワークだけじゃない。December 徳永恵里さんが人事とサロンワークの両立で目指す、第二のキャリアステージ 《天職WOMAN》

 

今回は、渋谷と原宿の間の美容室『December』でディレクターとして活躍する徳永恵里(とくながえり)さんを取材。サロンワークだけでなく、北田さん(December オーナー)の右腕として人事業務も担当しています。

地方のサロンから都内有名店へと移った徳永さんは、そこで8年間勤務したのち現職に。叱られてばかりのアシスタント時代を乗り越え、ひとつずつ着実に夢を叶えてきたそうです。

次なるビジョンの実現は、”可愛い後輩たちのために”が指針。そんな徳永さんの第二のキャリアステージについて伺いました。

 


 

人に好かれ、笑顔で働く叔母が眩しかった。職業は「美容師」

 

 

小さいころ、近所で美容師として働いていた叔母がいつもキラキラして見えたんです。そんな叔母への憧れから、福岡の美容専門学校に進みました。就職先は都内の有名店と決めていたのですが、なかなか合格をいただけず…。面接のために東京に出ては何度も泣きながら福岡に帰って、最終的に「東京には縁がないのかな…」と、山口県内の人気サロンに就職しました。

そのお店は人間関係がとにかく素敵で、先輩やお客さまに恵まれて毎日がとても楽しかったです。ただ、そんな恵まれた環境だったからこそ、「東京にいたら私はどうなっていたかな?」とよく想像していました。上京した同級生ががむしゃらに頑張っている姿を見ると、「自分はこんなに楽しくていいのかな?」と不安になったりして。

 

 

毎日の練習でお手本にするのは、東京の有名店が作るスタイル。そんな日々を重ねるうちに、その作り手側に回りたい気持ちがだんだん強くなっていきました。今でも覚えているのは、友達に「もしも明日死んだら、私はきっと東京に行きたかった、って言うと思う」と話したこと。自分の気持ちを再確認して、上京を決意しましたね。

そこから資金をためて1年後に退社したのですが、正直、山口のお店を離れるのもすごく辛かったです。先輩たちが大好きだったので、絶対に成功するという決意と感謝の気持ちを手紙にしたためて、皆さんに渡して上京しました。

ただ実は、その時はまだ就職先が決まっていなくて…(笑)。若気の至りというか、自分を窮地に追い込まないと頑張れないと思い、勤務先を決めるより先に東京に出てしまいました。

 

 

家は、すでに上京していた友達と3人でルームシェア。就職先が決まるまでは、派遣美容師として東京近郊のさまざまなサロンで働きました。

そんなある日、美容師の友達が「このお店が合うと思うよ」と原宿の有名店をすすめてくれたんです。実際に髪を切りに行ってみたら、スタッフの接客や立ち回りにすごく惹きつけられて、すぐにそのお店の中途採用試験を受けることにしました。

周りから「さすがに無理でしょ」と言われるほどハードルが高いお店でしたが、「一回目がだめでも、熱い気持ちを伝え続ければいつか受かる」という根拠のない自信があったんですよね。結果、まさかの一度目で合格をいただけました。

 

初めて付いたトップスタイリストが現職の代表・北田ゆうすけ

 

 

入社後、1年間はシャンプーマンとして毎日シャンプー台にいました。不器用だったので先輩からは毎日叱られましたし、手荒れは肩まで広がって痛いし痒いし、本当に大変な日々でしたね。

そうしてなんとか1年目を乗り越えたところで、北田(現・December代表)と出会いました。北田がトップスタイリストに上がって、最初につくアシスタントに抜擢されたんですよ。その人事に社内では驚きの声が上がって、すごく悔しかったと同時にありがたさも感じました。会社は私を成長させるために配慮してくれたんでしょうし、精一杯貢献したい、と思いました。

そこからの毎日は、サロンワークと撮影で目が回る忙しさ。でも、それはまさに自分が学生の頃から憧れていたことでした。早朝から深夜まで働き、常に睡眠不足で体力的に一番大変な時期だったのは間違いないですが、楽しかったんですよね。

 

 

北田に付いた1年間は、美容の楽しさをとことん教えてもらいました。私はミスもいっぱいしましたけど、北田はそれをどんでん返しで可愛くしていくんです。サロンワークでも撮影でも、かわいいスタイルをたくさん見せてもらいましたね。

 

そこから4年後には、銀座店のオープニングスタッフとして、お店を一からつくる経験もできました。デビュー後はありがたいことにお客さまも増えて、目標としていたヘアショーや撮影にも携わって。20代後半は、さらにステップアップしたいという気持ちを抱えながらも何をすればいいのかわからずに、もがいていた時期でしたね。地元の九州に戻って美容師をやろうかな…とも考えましたが、決めきれない自分もいたんです。それで、上京してきたときと同じく、自分を追い込むために退社の選択をしました。

 

>20代後半で退社し、北田が立ち上げた『December』に参加

 

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