「美容師として」より、「人として」の魅力を磨いて!〜ハワイ在住9年、夢を追い続ける泉真紀さん〜

原宿の有名美容室に就職し根性で頑張った15年間

 

 

帰国後は、とにかく有名になりたくて、美容の中心地、原宿にある有名美容室に電話をして自分を売り込み、入社しました。

 

そこでは、原宿に馴染めていなかったせいか、いじめられたこともありました。「下手くそ」などと言われ、スタイリストとして入社したのに、アシスタントと一緒に練習するように言われ、号泣しながら終電で帰る日々でした。終電を逃し、メイクが涙で落ちて顔を真っ黒にしながら、原宿から当時住んでいた国領まで、数時間かけて歩いて帰ったこともあります。あまりステキではない原宿ライフのスタートでしたね。

 

でも、やめなかったんですよね。入社半年後には若い人向けの美容室の立ち上げに関わり、後にマネージャーになりました。反骨精神で売り上げも会社トップになり、いくつかの店舗の立ち上げに携わりながら、15年間働きました。私をいじめた人たちには、「この人たち、絶対許さない!」と思いながら、頑張りましたね(笑)。

 

海外で働く夢を叶えて

 

 

18歳で美容師になってから、海外で働きたいという夢を、ずっと持ち続けていました。とくにニューヨークに憧れていました。今はハワイで美容師をしているので、海外で働くという夢は叶いましたが、ここまでに来るまでには、本当に色々なことがありました。

 

原宿の美容室時代、28歳(2001年)のときには、会社をやめてニューヨークで働こうと思い、下見を計画しましたが、折しも9.11のテロが発生。一時渡航が危ぶまれましたが、飛行機のチケットを予約していた9月17日にちょうど渡航解禁になったので、「これはGO!ということだな」と思い、ニューヨークに行ってテロの惨状を目の当たりにしました。

 

帰国後は結局、後輩たちを置いてやめられない気持ちになり、そのまま同じ会社で仕事を続けました。その後、33歳で出産、結婚、離婚も経験しました。

 

そして37歳のとき、「これからはキャリアを捨てて、息子(当時4歳)に合わせてゆったりとした生活にしたい」と思い、ハワイに移住しました。ゆったりするには田舎でないとダメだなと思いましたが、もともと海外で暮らしたかったこともあり、ハワイに決めたのです。

 

 

仕事、子育て、英語での勉強に明け暮れた日々

 

お客さま役をやってくれた息子ちゃんと

 

ハワイに来たばかりのときは英語もほとんどできなくて、ビザや息子の入園手続き、携帯電話の契約など、すべて自分でしなければならず、苦労しました。仕事は、ある日系企業の社員として美容室を立ち上げるという形でスタート。数年後には諸事情あって他の美容室に転職し、先方の事情で突然解雇されるなど、波乱万丈でした。2年前から地元の美容室のブースをレンタルして働き、今は落ち着いています。

 

当初1年間は、朝から晩まで仕事と子育てをし、子どもを寝かしつけてから夜中の3時までは、ハワイ州のコスメトロジーのライセンス取得の勉強をするという日々でした。

 

 

コスメトロジーのライセンスがあれば、ヘアだけではなく、ネイルやメイク、エステやマッサージなど、あらゆる美容施術ができます。その試験は英語で受けるのですが、それがまた大変で、何度も落ちました。

 

ヘアドレッサーだけのライセンスもありますが、いろいろできたほうがいいかなと思って。英語もできないのに、志だけは高いんです(笑)。英語のスキルは、電話がかかって来たら無言で受話器を取り、相手が英語だったら、そーっと受話器を置く…というレベルでした(笑)。

 

>ハワイの人たちのあたたかさが一人でなんでもできると思っていた気持ちを溶かした

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