たとえまだ半人前でも、お客さまに「世界一上手い」と言える心意気を持て びよう道 vol. 18 STRAMA 豊田永秀さん

「お前はここでやる器じゃない」と言われて上京

 

 

名古屋に戻って自分のお客さまに「ハズシ」を入れようとするんだけど、当然できるわけがなくて師匠に叱られたこともありました。「お前、影響を受けるのはいいけど、そのままやったってお前のものになっていないだろ」と。確かにその通りだと思いましたし、東京で学びたい気持ちも強くなりました。

 

最終的に東京行きを決めたのはオーナーに背中を押されたから。僕は当時働いていた店舗の先輩たちの売上をデビュー初月に抜いたんです。当然、給料も上がると思ったんですが、師匠から「最初からこの店を盛り上げてくれたスタッフたちよりも上げることはできない」と言われたんです。その上で、「君はここで働いているより、東京や海外を目指したほうがいいんじゃないか」とアドバイスされました。自分の可能性が認められたような気がして嬉しかったのですが、問題児で扱いづらかった部分もあると思います(笑)。

 

前職のDaBに入ったのは、たまたま通り掛かったから

 

 

ひとまず働く場所を求めて上京し、街を歩いていたらたまたま工事中のヘアサロンの横を通りかかったんです。それがDaBでした。スタッフらしき人がいたので自分が東京で美容師をしようと考えていると伝えると「じゃあ、ウチで働いてみる?」と。「まだこっちに引っ越していないんですけれど…」というと、「じゃあ引っ越してきたらきてよ」って言ってくれたんです。

 

家が決まり上京したのはDaBがオープンしてから1カ月くらいになってしまいました。「引っ越してきました」とサロンに伝えると「じゃあいつから来れる?」。そこまでは順調だったんですが、初出勤の日に39度の熱を出しちゃったんです。ようやく熱が下がって働ける状態になったら今度は「今、人手足りているから」と言われてしまい…。もうダメだと思ったんですが、せっかく東京に来たので、バイトもしないで遊んで暮らしていたんです。

 

しばらくして「年末忙しいからアルバイトしにくる?」という連絡が。アルバイト初日が12月29日。大晦日まで3日連勤です。今も忘れないのですが、「名古屋からきた豊田です」って挨拶すると、現在もDaBで活躍している山田千恵さんから「名前覚えらんないからジョニーでいい?」って言われたんです(笑)。その日は、革ジャンにクラッシュジーンズでパンクスっぽいファッションだったので、それを見て決めたのだと思います。

 

>「一刻も早くバリバリ稼いで俺たちに楽をさせろ」という言葉に痺れる

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